Quantcast
Channel: WebVANDA
Viewing all 632 articles
Browse latest View live

カンバス:『アイランド』 (Happiness Records/HRBR- 009)

$
0
0


カンバスは09年に結成された、福岡出身のヴォーカル兼ギターの小川タカシとベース兼コーラスの菱川浩太郎による二人組のポップス・グループだ。
2013年10月にファースト・アルバム『流星のベクトル』をリリースしてデビューした。同年には7インチ・シングルの「My Sweet Love Song」、翌14年に某タイヤ会社のWebムービーに「ラバー」を書き下ろして好評を得ていた。
16年にはマイクロスターの佐藤清喜のプロデュースにより、7インチ・アナログ「この街の夜さ (c/w Sunset202)」をリリースして、シティポップ・ファンにも一躍知られるようになる。また本誌ではお馴染みのウワノソラが昨年リリースし、今月4日にアナログ2枚組でも発売した『陽だまり』収録の「遅梅雨のパレード」には、ゲスト・ヴォーカリストとして小川が参加していた。


そして今月5年振りとなる、セカンド・アルバム『ISLAND(アイランド)』を7月20日にリリースする。
彼等の魅力は温故知新な音楽知識をベースに小川が紡ぎ出すソングライティングと、特徴的な彼の声質にある。元キリンジでソロ・アーティストに転じた堀込泰行、遡れば小田和正(元オフコース)の系譜ではないだろうか。
なお本作収録曲の内、シングルとして発表済みの「この街の夜さ」と「Sunset202」以外のレコーディングは、エンジニアの平野栄二のもとスタジオ・ハピネスでおこなわれており、ゲスト・ミュージシャンには流線形やキセルの他、昨年はTHE LAKE MATTHEWSのメンバーとしての活動したセッション・ドラマーの北山ゆう子、シンガー・ソングライターのayU tokiOのサポートで知られるギタリストの大石陽介とキーボーディストの今井カズヤ(「月の満ちかけ」というユニットをやっている)が参加している。

   

では本作で筆者が気になった主な曲を解説していこう。
タイトル曲の「アイランド」はThe Fifth Avenue Bandに通じるモダンなブルーアイド・ソウル感覚に好感が持てる。イントロのギターリフがシュガーベイブの「SHOW」、ブリッジのピアノの刻みやコーラスのリフレインはトッド・ラングレンの「I Saw The Light」がそれぞれオマージュされていて、ポップス・ファンは思わず嬉しくなるだろう。
続く「丑三つ時に君想う」は古風で奇妙な歌詞を持つラヴソングで、ホーンを含めたリズムのシンコーペーションなどアレンジの完成度が高く、初期のジェームス・テイラーがセクションと生み出していたグルーヴに近い。ホーン・アレンジはトロンボーンの山田翔一、複数のサックスは高木沙耶がプレイしている。

   

VANDA読者に最もお勧めなのは既出シングルとして収録された「この街の夜さ」かも知れない。王道のポップス、ソフトロック然としているが、佐藤清喜がプロデュースしているだけあって初期マイクロスターの匂いがする。小川と菱川のコーラス・ワークもこの曲の魅力を引き出しているし、普遍的なメロディ-・センスはモンキーズの「Daydream Believer」を平成日本で蘇らせたようだ。
この曲の歌詞に「幻想の摩天楼」という一節が出てくるが、続く「惰性」は正にスティーリー・ダンの『The Royal Scam』(76年)を彷彿とさせるファンクネスなサウンドに都会的なシニカルでクールな歌詞が載る。前曲からカラーが一転するのも彼等の引き出しの豊富さの現れ出るが、表現力溢れるギター・ソロには脱帽してしまった。筆者のファースト・インプレッションではこの曲がアルバム中ベストだ。


引き出しの豊富さという観点から「ハイウェイ」は本作中最も異質なサウンドである。小川のピアノと菱川の生ベース以外はプログラミングで編成されており、80年代初期エレクトロ・ポップとシティポップの融合と言うべきだろうか、桶田知道のソロともセンスが異なっていて面白い。 特にシンセサイザーの音色はシーケンシャル・サーキット社のプロフェット5を意識していて、当時トニー・マンスフィールドが手掛けたネイキッド・アイズを思い起こさせる刹那的ロマンティズムがたまらない。
ラストの「SUNSET202」は「この街の夜さ」のカップリング曲だが、こちらも負けていない70年代の良質なソウル・フィールがサウンドに溢れている。洗練されたホーン・アレンジと普遍的なコーラスのリフレインでこの曲の虜になるリスナーは多い筈だ。
アルバム全体を通して、例えばLampの様に判で押したような個性を主張したグループではないが、聴き飽きさせないソングライティングとアレンジの多様性、ヴォーカリストの声質や表現力によって着実にファンを増やしていけると確信している。興味を持った音楽ファンは是非入手して聴いて欲しい。
(ウチタカヒデ)


1970年代アイドルのライヴ・アルバム(西條秀樹編・Part-2)

$
0
0

 Part-1の歩みに続き、今回は彼を象徴する黄金期1970年代のライヴ・アルバムを紹介する。ただし、彼はライヴ・アルバムを19作発表しているが、ここではミュージカルの『わが青春の北壁』(1977年)、それに1980年代に入ってからの『限りない明日を見つめて』以降の8作品(内1作はミュージカル)にはふれていない。それはこのコラムが「1970年代の通常ライヴ」の検証だとご理解いただきたい。

1973 『西城秀樹オン・ステージ』(RCA)
1973326日大阪毎日ホールで行われたデビュー1周年公演「ヒデキ・オン・ステージ」から15曲収録。5

 バックは渡辺茂樹率いるM.M.P.。まだ持ち歌が少ない時期ゆえ、そのセット・リストはリトル・リチャード<Good Golly Miss Molly>やジェームス・ブラウン<Try me>をはじめアマチュア時代からのレパートリーと思われるエキサイティングな洋楽カヴァーが中心となっている。ただそれのみならずロギンス&メッシーナの<ママはダンスを踊らない(Your Mama Don't Dance)>といった近年のヒットまで、洋楽に親しんでいた彼ならではのレパートリーが並ぶ。それらがオリジナル以上に際立った存在感を放っている。

1974 『リサイタル/ヒデキ・愛・絶叫!』(RCA)
1973117日東京・芝郵便貯金ホール第2回コンサートから22曲を収録。2 

シングルが国内チャートを初制覇し、勢いに乗った時期のライヴ。ここでも半分以上の13曲が洋楽カヴァーで占められ、オーティス・レディングはじめ実力派シンガーのレパートリー<Try A Little Tenderness>や、ブラッド・スウェット&ティアーズ<Spinning Wheel>といったソウルフルなナンバーが際立っている。またそんなハードなナンバーのみならず、バラード・ナンバーで聴かせる甘いヴォーカルは、抱擁感に溢れた魅力を堪能させている。ここでのパフォーマンスはすでに本格派の風格が漂うアイドル離れしたシンガー、ヒデキの姿が感じられる。

1975 『リサイタル/新しい愛への出発』(RCA
19741020日東京・芝郵便貯金ホール第3回コンサートから26曲を収録。4

<傷だらけのローラ>で全身からみなぎるばかりのシャウトを印象付けたヒデキ。ここではクールザ・ギャングの<Funky Stuff>、ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツ<恋の逃亡者(Satisfaction Guaranteed)>などファンキーなソウル・ナンバーをその歌唱に迫るように聴かせている。特に後者はテディ・ペンダーグラスに迫るほどのパワーに溢れている。
またロックの古典<Roll Over Beethoven>では、ELOのカヴァーを意識したであろうロック・スタイル、さらにディランの<Just Like A Woman>ではハードなアレンジで仕上げるなど、ここに収録された洋楽カヴァー12曲の聴きどころは多い。

1975 『ヒデキ・オン・ツアー』(RCA
1975年に敢行されたヒデキ初の全国縦断コンサートから20曲を収録。2

このライヴから演奏は藤丸BAND(とザ・ダーツ)が務め、編曲は惣領泰則が担当。自身のバック・バンドを得たことで、ヒデキに躍動感が増している。それはここで取り上げた半分以上を占める12曲の洋楽カヴァーで顕著に表れている。
それは吉野の提案で演奏されたグランド・ファンクの<Heartbreaker>や、当時頭角を表していたエアロスミスの<S.O.S.>などにしっかり刻まれている。
さらに藤丸とのデュエット<瞳の面影(My Eyes Adored You)>では、既に二人のコンビネーションが確立されているようにも感じられる。
またお約束の<青春に賭けよう>ではファンの大合唱が会場内に響き渡り、野外ライヴならではの解放感に溢れている。

1976 『MEMORY-20歳の日記)』(RCA
1枚目がスタジオ作、2枚目を1975113日に開催された日本のソロ歌手初の日本武道館公演を収録した変則アルバム。6 

初武道館公演はその会場を意識したかのように壮大な雰囲気を連想させる<バッハのトッカータ>で幕を開ける。そんなライヴ前半はゆったりとした感じだが、後半になると当時一大旋風を巻き起こしていたK.C.&ザ・サンシャイン・バンThat's The Way>をはじめ、ヒデキらしいエネルギッシュなセット・リストで会場を沸かせている。藤丸BANDとのコンビも1年を経過し、充実したプレイを聴かせてくれる。

1977 『HIDEKI LIVE’76』(RCA
1976113日に開催されたヒデキ2回目の日本武道館公演から21曲収録。12 

ライヴはジャケット写真に象徴されるような大人のエンタテナーを意識したものになっている。それは<恋は異なもの(What a Diffrence a Day Makes)>といったジャジーなカヴァーや、近作アルバム(注1収録曲からの甘い魅力に溢れたナンバーからもうかがうことが出来る。
もちろん武道館というキャパにあわせたスケールの大きなヒデキ・スタイルはディスコ調で披露している<夜のストレンジャー(Stranger In The Night)(注2)でもよくわかる。さらに同年に発表された『Wings Over America』を連想させるような藤丸BAND Featuringヒデキ然とした<希望の炎(Jesus Is Just Alright><心のラヴ・ソング(Silly Love Song)>でのプレイはヒデキ自身もバンドとの一体感を楽しんでいるよう
な仕上がりだ。その姿はヒット曲だけでは語りつくせない彼の魅力が凝縮されている。

1978 『バレンタインコンサート・スペシャル/愛を歌う』(RCA
1978214日に日比谷公会堂で「新日本フィルハーモニー」との初共演ライヴから19曲収録。22 

このオーケストラ初共演はバンドを率いたロックなヒデキとは別の魅力を再認識することが出来る。ここでは<マイ・ファニー・バレンタイン>など洗練されたシンガーとしてのヒデキ、またランディ・ニューマンのセイル・アウェイ>といったマニア好みする曲をチョイスしているセンスも見逃せない。  
こんな贅沢なライヴでもファンとの一体感を強く感じさせているのは、会場内のファンの大合唱が始まる定番曲<青春に賭けよう>だった。補足ながら、この曲は後にアカペラでも歌われる(注3彼のライヴには欠く事の出来ないナンバーだった。
なお余談になるがここで取り上げているシュープリームスの<ユー・キープ・ミー・ハンギン・オン>は、もしこの時点でロッド・スチュワートのカヴァー(注4を聴いていたとしたら、彼がどのようにチャレンジしたのか気になるところだ。

1978 『BIG GAME’78 HIDEKI』(RCA
1978年の722日に後楽園球場、816日ナゴヤ球場、826日大阪球場で開催された第1回スタジアム・コンサート・ツアー「BIG GAME'78 HIDEKI」から23曲収録。15位 

派手な爆竹音がけたたましく響き渡るオープニングは、当時全米人気の高かったブギ・バンド、フォガット(注5のナンバーとまさにロック・コンサート。ここでもバック・バンドU.F.O.を率いる吉野藤丸のギター・プレイは冴え渡り、ヒデキとのコンビネーションは抜群だ。
またロックの古典<朝日のあたる家The House of The Rising Sun)>を当時大ブレイクしていたサンタ・エスメラルダ調(注6に仕上げるなど、流行に敏感なヒデキらしさは健在だ。さらにドラマチックに歌いあげるアラン・パーソンズ・プロジェクトの<哀しい愛の別離(Some Another Time)>(注7は改めて選曲センスの良さを感じさせる。ここでのパフォーマンスは正にヒデキ・ライヴの集大成といった雰囲気に満ちている。

1979 『永遠の愛・7章』(RCA
1978113日の日本武道館のライヴで10曲収録。11

このライヴは吉野との共同作業によるオリジナル・アルバム『ファースト・フライト』の収録曲を大きくフューチャーしたもので、当然ながらヒット曲や洋楽カヴァーも抑えられている。
ここでの注目は、1980年代以降のヒデキを彷彿させるAOR調の新曲Love is Beautifull>。また桑名正博の<哀愁トゥナイト>(注8ではオリジナルの高中正義を意識したであろう藤丸のギターが炸裂している。
そんな最良のパートナーだった藤丸は、このレコーディングから誕生したOne Line Band(翌年Shogunに改名)の活動に専念するため独立。残念ながらこの二人の蜜月はこのアルバムが最後となっている。  
補足ながら、このような新作のプロモーションを兼ねたライヴ盤は郷ひろみや野口五郎も同時期に発表(注9)している。これはアーティストとしてアルバムに対する自信の表れとも取れる。

1979 『BIG GAME’79)』(RCA
1979824日に開催された第2回後楽園球場コンサートから17曲収録。12 

<ヤングマン(Y.M.C.A.)>が空前の大ヒットを記録したまさに絶頂期のライヴだ。ただ当日1971年に開催された暴風雨のGFRコンサート再現のような悪天候で、収録不能となり、スタジオ録音と差し替えられたパートもあるほどだった。
ここではヴィレッジ・ピープルの曲が3曲チョイスされ、中でも<ゴー・ウエスト>は人形劇「飛べ!孫悟空」(注10の挿入歌でなければ、シングルにしても良いほどの出来ばえだ。 
ディスコ・ヒットのキッス<ラヴィング・ユー・ベイビー(I Was Made for Lovin' You>、ドナ・サマーの<ホット・スタッフ>などはありがちなところだが、最新曲でもあるトトの<愛する君にI'll Supply The Love)>(注11をチョイスするあたりは、いかにも音楽シーンに敏感な彼らしい選曲だ。
さらにここでの最大の聴きどころは雷鳴が効果的なSEとなって響き渡る中で歌うキング・クリムゾンの名曲<エピタフ(注12だ。そこにはヒデキらしい情念に満ちた幻想的な世界が醸し出されている。

 と1970年代のライヴをレヴューしたが、冒頭でもふれたようにヒデキは1980年代にも7作ライヴ・アルバムをリリースしている。参考までにリストだけ列記しておく。

1980.『限りない明日を見つめて』
   『BIG GAME’80 HIDEKI
1981.BIG GAME’81 HIDEKI
1983.HIDEKI RECITAL-秋ドラマチック』
   『BIG GAME’83 HIDEKIFINAL IN STADIUM CONCERT
1984.JUST RUN’84 HIDEKI
1985.'85 HIDEKI in Buddokan-for 50 songs

 最後に前回の追悼特集の末尾に1999年に、デビューから1985年までにリリースされたライヴ・アルバムのセレクション集がCD6枚ボックスで発売されていると紹介したが、そその詳細を記載しておく。

HIDEKI SUPER LIVE BOX  1999.12.16日 / RCA / RCA/RVL-20778
Disc-1. 『オン・ステージ』の一部、『リサイタル/ヒデキ・愛・絶叫!』の一部、『リサイタル/新しい愛への出発』の一部 
Disc-2.『バレンタインコンサート・スペシャル/西城秀樹 愛を歌う』の一部、『永遠の愛7章』の一部 
Disc-3.BIG GAME’78』の一部、『BIG GAME’80』の一部、『BIG GAME’81』の一部 
Disc-4.『限りない明日を見つめて』  

Disc-5,6.『'85 HIDEKI in Buddokan-for 50 songs-』

(注1)1976年6月25日発売の第6作『愛と情熱の青春』

(注21976年発表のベッド・ミドラー第3作『Songs for the New Depression』に収録されたヴァージョンをベースにしたフランク・シナトラの代表曲。

(注31996年のセルフ・カヴァー・アルバム『LIFE WORK』に吉野アレンジによるアカペラでのセルフ・カヴァーが収録されている。

(注41978年の『明日へのキック・オフ(Foot Loose And Fancy Free)』に収録。

(注51971年にサボイ・ブラウンのメンバーで結成されたバンド。1975年の第5作『Fool for the City』に収録されたSlow Rideでブレイク。その後も1970年代後半までライヴ活動を通じ人気を博す。

(注61977年に<悲しき願い(Don't Let Me Be Misunderstood )>のヒットで一世を風靡したしたフラメンコ・スタイルのディスコ・グループ。

(注7)アラン・パーソンズ・プロジェクトの第2作『I ROBOT』(1977年)に収録されたバラード。

(注81970年代初めに「東のキャロル、西のファニカン」と呼ばれ人気を博したファニー・カンパニーの桑名正博。彼のセカンド『マサヒロ・Ⅱ』に収録された筒美京平書き下ろしのソロ・ファースト・シングル。この曲では高中正義がギターを担当、その演奏は編曲担当の萩田光雄さんが唖然とするほどだったという


(注9郷ひろみには『Narci-rhythmのプロモーション『IDOL OF IDOLS』(1978年)、野口五郎にはGORO IN LOS ANGELES,U.S.A.-北回帰線-』(1977年)をはじめとする海外録音数作でセッションに参加したメンバーが集結した10thANNIVERSARY U.S.A STUDIO CONNECTION.』(1980年)がある。


(注10)ザ・ドリフターズが吹き替えを担当した人形劇(1977-1979年)の挿入歌。主題歌はピンク・レディー




(注11)ボズ・スキャッグスの傑作Silke Degrees』(1976年)のセッションから誕生したバンド、トトのファースト・アルバムToto(宇宙の騎士)』収録曲で、セカンド・シングル
(注12)英国のキング・クリムゾンが1969年に発表したプログレッシヴ・ロックの一大傑作『クリムゾン・キングの宮殿』に収録された叙情的名曲。

2018年7月11日21時

hajimepop:『Good-Melody Records』 (GMRD-0002/STEREO) リリース・インタビュー

$
0
0

















シンガー・ソングライターのhajimepopが、ファースト・アルバム『Good-Melody Records』を5月31日にリリースした。
07年に「hajimepop」名義でSNS上にてデモ音源を発表することで音楽活動をスタートした。同時期Sony Musicのプロジェクトで出会った作曲家の仁科亜弓達と共に、クラブ系ユニット「Btype Qualia」を結成し、12年にはサマーソニック出演を果たすまでになる。同年にはソロとして配信アルバム『Melodies』をリリースする。
その後は、平山大介(invisible manners)と武藤直哉によるファンク・ユニット「ネンドウズ」にヴォーカリストとして参加、更にジャミーメローのナカムラタカノリとポップ追求型・作曲ユニット「パグトーンズ」を結成している。
その他彼はアーティストのバック・コーラスとしてレコーディングへの参加や劇伴の作曲、CMでの歌唱なども行なっているのでどこかでその声を耳にしているかも知れない。
ここでは、VANDA監修書籍の愛読者で筆者とも交流のある彼に『Good-Melody Records』について聞いてみた。


●仲間内のミュージシャン達の間ではいつ出るの?いつ出るんだ?という感じでしたが、満を持してのファースト・アルバムのリリースについての率直な感想を聞かせて下さい。

hajimepop(以下H):はい、とても時間が掛かってしまいました(笑)。 "Special Thanks"には、とても書ききれなかったんですけど、個人の感慨よりも「皆さんのお陰です!」という気持ちが大きいですね。まだ小規模リリースながら予想以上の反応を頂いているので、とてもありがたく思っています。

12年に、それまでに溜まったデモ音源をブラッシュアップした配信アルバムを出したんですが、それ以降の4年くらいは病気で体調を崩して、自分の音楽にも全く自信が持てないような精神状態になっていました。このアルバムに4曲収録しているパグトーンズのCDをリリースする話もあったんですけど、僕のそういった問題で流れてしまって。

●アルバム作りでは多くのミュージシャンや音楽関係者の手助けもあったとか。

H:そうなんです。今回、制作などで関わってくれたジャミーメロー(ナカムラタカノリとMEMIcreamによるエレクトロ・ユニット)の二人には、精神面や音楽的なフィジカル面でかなり助けてもらいました。MEMIちゃんは歌唱だけでなく、かなり凝ったジャケットとパッケージのアート・ワークも担当してくれました。 

そして、いつもデモを聴いて意見をくれた友人、今作にコメントをくださったエンジニア/プロデューサーの寺田康彦さんと森達彦さん、その他の音楽家の皆さんにも大変お世話になりました。
また、ネットで気に入ってくださって「CDは出ないの?」と声を掛けてくれた方々にも。やっと皆さんに届けられて嬉しいです。

●hajime君の人柄が滲み出ているコメントですね(笑)。リスナーの方々からの声ほど励みになることはないですよね?

H:ここ2年くらい、人生で一番体調が良いと思っているんですけど(笑)、そういった方々の存在が本当に大きかったですね。「自分が良いと思っているメロディは、本当は全然良くないんじゃないか?」と疑っていた時期が長かったので。 
それと、1年前からピアノの弾き語りを始めたんですが(8月16日には岩本町Eggmanに出演)、作り込んだ音源とのギャップが大きいので、そこを埋めてライブでも楽しんで頂けるようになるのが当面の目標です。



●アルバム・コンセプトは「架空のレコード・ショップ」をイメージしたそうですが、具体的に説明して下さい。

H:先ほど少し話に出た、パグトーンズ(ナカムラタカノリとのユニット)のアルバムを制作する予定だったんですけど、僕個人のSoundCloudでソロの曲を好きになってくれる人も増えてきて、「ソフトロック風のhajimepopも、シティポップ寄りのパグトーンズの曲も混ぜてしまおう」と考えました。
その時点で様々なサウンドの曲が揃っていたので、『架空のレコード・ショップの店主がセレクトした (仮想)コンピレーション・アルバム』というコンセプトが、既に浮かんでいました。であれば、ジャミーメローがカヴァーしてくれた僕の曲「マシンガントーカー 」も入れたら多様性があって面白いかな、と。

"架空のレコード・ショップ"のモデルは、現在タワーレコード渋谷店・5階にある「パイドパイパーハウス」で、"店主"は長門芳郎さんのイメージです。 でも最近気づいたんですけど、土橋一夫さんと長門さんのラジオ番組『ようこそ夢街名曲堂へ!』も全く同じ設定なんですよね。
6月の末に、その番組で長門さんが「Dear Brian」を掛けてくださって大感激だったんですが、そのとき初めて番組のオープニングを聴いて、文言までそっくりなので冷や汗がダラーっと出ました。それまでradikoプレミアムにしてなかったんで…という言い訳を(笑)。 

●「Dear Brian」は僕も初めてデモ(当時「God made him write」というタイトルだった)を聴かせてもらった時から素晴らしい曲だと思いました。『ザ・ビーチ・ボーイズ・コンプリート revised edition』(佐野邦彦氏監修/12年)を愛読して、ブライアン・ウィルソンの熱烈なファンであるhajime君として、この曲を作った経緯を教えて下さい。

H:あの本はバイブルになっていて、今も何かとお世話になっています。 曲名はクリス・レインボウから拝借してしまったわけですが…(笑)。 ブライアンを描いた映画『ラブ&マーシー』(15年公開)を観て、途轍もなく感動して「これは曲を書かねば!」と、一週間くらいで現状に近いデモを作りました。 文献レベルで知っていたことが軒並み映像化されていたんで、興奮しましたね…。でもメリンダとの話は殆ど知らなくて。歌詞は二人のことがテーマになっています。

Bメロの転調は、自分の作った曲の中でも「上手く書けた!」と気に入っています。サビ直前のメロディは何となく(ペット・サウンズ収録の)「Don't Talk」ぽいな、とニンマリしていたんですけど、この辺りは細か過ぎて伝わらないかもしれません(笑)。 フィル・スペクターとかナイアガラっぽいと言われることがあったんで、最後の最後でカスタネットを加えました。

●レコーディングの期間を教えて下さい。またレコーディング中のエピソードをお聞かせ下さい。

H:「ここ5年間のベスト・アルバム」と言えば解りやすいかもしれません。一番古い曲はパグトーンズの「Happy Sleep」で、13年の年末くらいにデモが出来ていました。 この後にリズムを組み直したり、シンセを差し替えたりして、ディスコ寄りのアレンジにしています。武藤直哉さんのファンキー・ベースは寺田さんも絶賛されていました。
他は今年の4月くらいまでにレコーディングしたもので、「Happy Sleep」以外のパグトーンズの3曲は、CDプレス直前まで作業していて、かなりテンパってましたね(笑)。


 左から武藤直哉、hajimepop、仁科亜弓、ナカムラタカノリ


●「Happy Sleep」での元Clownfish武藤君のプレイは大きいですね。この手のファンクでは音数を削ぐ傾向のアレンジが多いけど、ナカムラ君のギターが妙に主張していて面白いですよ。
他の曲ではどうですか?

H:「半額のカニちらし」では、作曲家でトイミュージック演奏家の仁科亜弓さんにトイピアノを弾いてもらいました。が、予想していたものと全然違う感じのテイクが来て、かなり盛り上がりました。トラックは一人で作り込んだものなのですが、彼女の演奏が加わっただけで曲全体が遊園地のようにキラキラしてきて。 
パグトーンズもそうなんですけど、(ナカムラ)タカノリ君のギターが乗ると、自分のイメージを軽く超えて感動できるというか…10曲目の「Mellow Jam」(Spotify、Apple Musicなどで配信中)はその最たるもので、これはもうコラボレーションの楽しさですね。 
タカノリ君とはルーツで被っている所があまり無いんですが、とにかく引き出しが多い。マジカル且つカラフルで、僕の大好きなやつなんです(笑)。 さっきの「Happy Sleep」にしても、たぶん彼があまり通ってないジャンルで、「おぉ、こう来るのか!」って感じで新鮮でした。

レコーディング終盤のバラード「Right by Your Side」では、音数をかなり抑えたギターで泣かせてくれます。 この曲、トラック数が多くなり過ぎていたせいか、あるとき曲のプロジェクト・ファイル自体が開かなくなってしまって、作業が続けられず「終わった…」と諦めかけたんですが、奇跡的に何とかやり切りました(笑)。一番好きな曲だと言ってくれる人が多いので、収録できて良かったです。
その他、オープニングを飾るエレクトロニカ的な「Galaxy」では、女性シンガーの碧(みどり)さんのユニット・Fluffy Toy Boxがコーラスを、「RARA Song」はインドネシア人の友達 Joph(ジョップ)と、詞・曲ともに共作しました。

●Jophと出会ったきっかけやどんなミュージシャンなのか教えて下さい。

H:Jophとはインターネットで、JellyfishやThe Sonic Executive Session好きのサークルで繋がりました。その後の彼は AKB48にハマって、いつのまにか日本語を話せるようになっていました(笑)。バンドでベースを弾いたりもしながら、現地のインディー・レーベルでスタッフとして関わっていたようです。日本でも人気のikkubaruのギター・ヴォーカルのイッ君とはご近所友達で、よく遊んでいます。
80年代のシティポップやアイドル、90年代の渋谷系、最近の日本のバンドも… 大体は僕より詳しいですね(笑)。 WebVANDAでお馴染みのアーティストの中ではLamp、microstar、ウワノソラ、その他ではシンリズムなどを特に熱心に聴いています。 5月に彼が来日したときは、Lampの染谷さんに会えてとても感激していました。日本とインドネシアの架け橋になってくれる気がしています。



●Jophは日本の音楽贔屓なんですね。今後も彼の活躍に期待しますよ。
「マシンガントーカー」のリメイクでは、ジャミーメローのMEMIさんのヴォーカルをフィーチャーしていますが、以前のヴァージョンからこの曲が持つモータウン(ジャクソン5)的ムードに非常に合っていると思いました。この曲のレコーディング中のエピソードはないでしょうか?

H:トラック自体は、16年にリリースされたジャミ―メローのアルバム『左右』に収録されたものと同じですが、今回は他の曲に合わせて、マスタリングの段階でだいぶバランスを変えています。
実は、僕が歌う元のヴァージョンだと、コードが4つしか出てこないんです。有名曲で言うとミニ・リパートンの「Lovin’ You」とか、サイモン&ガーファンクル「59番街橋の歌」のアレ(所謂 ”4・3・2・1”)です。 そのコード進行のトラックを流しながら、RBを意識しつつ自由にメロディを作っていった曲でした。
ですから、MEMIちゃんがこの曲をカヴァーしたいと言ったときは驚きました。作った僕でさえ歌いづらいメロディなので、「歌えるの?」って(笑)。
でも彼女のウィスパー・ヴォイスが凄く良い感じでしたね。タカノリ君のアレンジも、テンション・コードを入れてジャズっぽくしたり、ファンキーなセクションを入れたりで、渋谷系寄りのかなりお洒落なガールポップになりました。 ちなみにブラスのサンプルは、(仁科)亜弓さんと同じくBtype Qualiaで一緒のアベちゃん(阿部道子)が手掛けたもので、「オザケンの『LIFE』みたいな雰囲気に出来る?」なんて言いながら、作ってもらいました。


(左から hajimepop、MEMI)


(「マシンガントーカー」オリジナルVer)

●リリースに合わせたライブ・イベントがあればお知らせ下さい。

H:リリースに関連したライブは無いんですけども、全国発売時には何か出来ればと考えています。 それと…まだお伝えできないのですが、あるダンス系トラックメーカーの楽曲のフィーチャリングで、ヴォーカリストとして参加しました。岡村靖幸や筒美京平を思わせる良い曲なので、そのCDのリリース情報も追ってお伝えしたいです。

●では最後にこのアルバムのピーアールをお願いします。

H:ソフトロックやシティポップ、エレクトロニカや渋谷系など音楽好きな皆さんは勿論、普段はJ-POPしか聴かないという方々にも、聴きやすいポップ・アルバムになったんじゃないかと思っています。カラフルなサウンドと、タイトル通りのグッド・メロディに拘った作品です。
友人の協力によって海外で気に入ってくれている方も増えているので、より多くの方々に聴いて頂けたらなぁ、と思っています。

今のところ、タワーレコードの渋谷店(3階・5階パイドパイパーハウス)と新宿店、ヴィレッジヴァンガード渋谷本店で発売中です。 まだ全国発売になっていないのですが、オンラインストアでも販売しています。現在、パイドパイパーハウスでは試聴機に入れて頂いていますので、お立ち寄りの際には是非よろしくお願いします。

オンラインストア
https://good-melody.stores.jp/items/5b28942d50bbc326570003fd

(インタビュー設問作成/文:ウチタカヒデ)

【ガレージバンドの探索・第一回】The Rising Storm 『Calm Before…』

$
0
0
WebVANDAの記事で、The Pen Friend Club を取り上げていただいている関係でウチタカヒデさんと何度かお会いできる機会があり、60年代ガレージなどが好きだという話をさせていただいていました。
そんな中で記事投稿のご提案をいただき、この度、光栄にも執筆に参加させていただくことになりました。よろしくお願いいたします。
西岡利恵


 The Rising Storm 『Calm Before…』(Remnant ‎– BBA-3571)

トワイライトガレージの名盤と言われる作品で、寂しげな空気感の漂うサイケロックやフォークロックのようでもありながら、限りなくピュアなガレージロックでもある。つたない演奏は心に響く要因のひとつで、その自然発生的に生まれた特有のガレージらしさは味があるといった表現だけでは伝えきれない魅力がある。

The Rising Stormは、マサチューセッツ州アンドーヴァーの名門進学校フィリップス・アカデミーに通う学生バンドだった。
卒業間際の1967年、この『Calm Before…』をプライベート・プレスで500枚制作している。 当初は身近な友人、知人達へ売っていた程度だったようだけれど、メンバーが卒業してそれぞれの道を歩み始める中、一部のマニアの間で徐々に人気が高まり、80年代初頭には$350以上の高値がつくようになる。2016年には$6500支払ったコレクターまでいたらしい。 オリジナル盤は現在でも高額取引されるレアアイテムだけれど、過去にはEVA、STANTON PARK、Arf! Arf!(米マサチューセッツ州ミドルバラで60's ガレージパンクコレクター/ミュージシャンのエリック・リングレンが主宰するレーベル)から、今年の1月にはSundazed Musicから再発されている。
日本ではオールデイズ・レコードの、ジミー益子監修 60’s GARAGE ROCKIN’ OLDAYSシリーズとして4月に紙ジャケCDで復刻している。 

収録曲は全12曲。 The Remains、The Rockin' Ramrods 、Wilson Pickettなどのカヴァーや、10代のガレージバンドにしては意外にも、12曲中5曲はオリジナルを収録している。
近年では2016年、結成50周年記念としてオリジナル曲「I'm Coming Home」がPenniman Recordsによってシングルカットされた。60年代のガレージバンドらしいかっこいい曲で、危なっかしさがまたいい。
B面もオリジナル曲「She Loved Me」。


 

同じく2016年、「Frozen Laughter」は、EFFICIENT SPACE のコンピレーション『SKY GIRL』に収録され、カナダの映画『Allure』にも使用された。彼等らしいトワイライトな雰囲気は、オリジナル、カヴァーに関わらず全編に満ちているのだけれど、特にArthur LeeのバンドLove のカヴァー「A Message To Pretty」はThe Rising Stormの持つ空気と絶妙にマッチしている。静けさの中で鳴り響くハーモニカ、囁くような歌声が切なくてぐっとくる。
そしてボストンのガレージバンドThe Rockin' Ramrods のカヴァー「Bright Lit Blue Skies」。この曲こそトワイライトガレージの最高傑作だと思う。
高度なテクニックでも意図的なアレンジでもない、ただ偶然の重なり合いのような奇跡的な結果で、原曲以上の情感が生み出されている。


   
 『Calm Before…』の後には、十数年経ち再会を果たしたメンバー達がアンドーヴァーで行ったライブを収録した『Alive Again At Andover』(Arf! Arf! ‎–AA007)が1983年にリリースされた。この音源は1992年に同じくArf! Arf! からのリイシュー盤『Calm Before…』(同–AA-034)のCDにもボーナストラックとして収録されている。
そして1999年には、新たなオリジナル曲を含むスタジオ音源と、1981年、1992年のライブからの音源をコンパイルした『Second Wind』(同‎–AA-083)をリリースして今に至る。
現在もメンバー達はそれぞれ離れた土地で、音楽とは無関係の職を持ちながらも時々集まって The Rising Storm としての活動を続けているという。
(西岡利恵/ The Pen Friend Club, Schültz)

【西岡利恵・プロフィール】
平川雄一を中心とする60年代中期ウェストコーストロックバンド The Pen Friend Club (ザ・ペンフレンドクラブ)でベースを担当。自身の臨時編成バンドSchultz(シュルツ)ではボーカル、ギターとして活動。音楽性は主に60年代のガレージロックやブリティッシュビートなどの影響を受けている。

佐野邦彦氏との回想録15・鈴木英之

$
0
0

前回の回想録は「VANDA28」の発行までをまとめたが、今回は定期刊行としてはラストとなった「29」の発行までの出来事について紹介する。この号の製作期間は2002年の中ごろから2003年の初夏頃になる。この時期、佐野さんはお父様の他界という悲しい出来事に接している。それは彼が自宅近郊にある実家に立ち寄った際の出来事で、彼が訪れた時にお父様は危篤状態だったという。その事態に同居のお母様は即救急に連絡を取るも、実家の歩道は狭く救急車入れない状況だった。そんな中、保健所勤務だった彼は救急士が到着する前に、しかるべき緊急処置を全て対応していた。しかしその甲斐なく、お父様は時既に遅く帰らぬ人となってしまったということだった。

そんな悲報に遭遇したとはいうものの、彼はこれまで同様に月1回のRadio VANDAは穴をあけることなくこなし、また当時怒涛のように発売されていた貴重音源のリイシュー盤やライヴ映像をチェックしてWeb.VANDAへの情報発信投稿も精力的に行っている。この頃のWeb.の閲覧数は60万を超えており、マニアックな音楽ファンにとって佐野さんの一挙一動が大きく影響を与えていたのがよくわかる。その量と内容がいかに濃かったかは、「29」のP8593の「Latest Items」に列記されたラインナップのフォントをかなり小さくなっていることでも判断できるはずだ。

またYou-Tube2005年開設)もスタートしていなかったこの当時の映像作品はかなり高価だったこともあり、一般には広く見られていたとは言えなかった。ただ、佐野さんは貧欲に興味のある映像は即入手してチェックしまくっていた。珍しいものを入手すると、「絶対、これ見ておくべき!」とばかりに早々にダビングして送られてくることが多く、私はその恩恵に預かっている。そのおかげもあって彼との会話はさらにコアなものになっていった。

さらにそれまで大好評を得ていた『Soft Rock A To Z』の大改訂版『Soft Rock A To Z The Ultimate!』も9月に発刊している。その内容は初版発刊以来、新たな発見記事についてVANDAを通じて追記させていたものを反映させたコンプリート版で、これまで資料提供という協力者のポジションだった私も、新規執筆者として参加させていただいている。佐野さんが大ブレイクを遂げた「VANDA 18」以降、お互いに刺激し合ってそれまで注目されていないジャンルを紹介した集大成いう出来に仕上がったと思っている。何せこの本で紹介されている大半は、リアルな時期では都内のショップ等で「カット盤の帝王」的なものが大半で、当時は3500円や1100円でも売れ残っていたものばかりだった。当時、そんな「屑」同然の扱いのアルバムを聴き漁っていた私の記憶と、それを探求する佐野さんとの付き合いからまとめられたものも多く、印象深いものばかりだった。


このように以前にも増して精力的に勤しんでいた佐野さんだったが、そんな彼でも一向に進展せず難航しているものがあった。それは、かなり以前から多くの知人たちに執筆の協力を呼び掛けていた「リスナーのための音楽用語辞典(仮題)」だった。それは単に一般の音楽用語を羅列して解説するのではなく、項目を音楽ファンの視点でまとめるということを着眼点にしたもので、読み物としても成立するような画期的なコンセプトを持った本になる予定だった。

当初、私は「音楽的な用語は無理」とばかりに、ビンテージ・ギターのコレクターで多くのコピー・バンドを掛け持ちしていた後輩のK君に振っていた。ただ、佐野さんからリアルタイマーとしての時代的を反映したような項目をというリクエストがあり、「少しだけなら」という感じで手伝うようになった。そこで私が挙げたものは、個人所有の「ぴあ」などの情報誌やFM雑誌などから検証する、「名物ロック喫茶」「名物ライヴ・スポット」「名物レコード・ショップ」「来日公演チケット購入プレイガイド」「人気ラジオ・テレビ音楽番組」など、十代後半から二十代に直接見聞きした概況を記憶の限りまとめるといった項目だった。それを話すと佐野さんは「それって絶対鈴木さんしか出来ないもの!」として、思いっきり背中を押してくれた。ただまとめ始めてみるとあまりにも守備範囲が広がりすぎ、膨大な量になってしまい、コンパクトにするため書き直しの毎日となった。また音友の木村さんから「各項目の内容のレベルにばらつきがあり、全体的なバランスに問題がある」とダメ出しされ、延期に次ぐ延期となり、ついには棚上げ状態となってしまった。そのデータについては、木村さんから佐野さんに渡され、その他のメディアに持ち込んだようだったが、その後どのようになったかは不明だ。


そんな頃、「26」の編集に尽力してくれた木村さんから「VANDAを音友の出版ルートにのせませんか?」という話を持ち込まれている。前回でもふれていたが、この時期のVANDAは佐野さんと松生さんそれに私の三人で編集費用を負担するという状態だった。彼にしてみれば経済的な問題が解消でき、私と松生さんへの負担を解消できるということもあり、一時は音友傘下も選択肢の1つとして検討していたようだった。ただ、この頃には出版業界はかなり斜陽産業化しており、「Web.VANDA」と「Radio VANDA」を通じ、制約のない自由な活動が軌道に乗ってきていた。そんな事情もあり、ある時に彼から「VANDAはこれまで通りにやっていきたいので、今後も負担協力お願いしたい。」という連絡が入った。

とはいえこの頃の私は、約一年間本業の傍ら、出張取材をくり返し、全精力を注いで完成させた『林哲司全仕事』のやりきり症候群で、精根尽き開店休業だった。その気分転換にと遊び半分で、「Web.VANDA」のパクリネタを探求する「Sound of Same」への投稿に夢中になっていた。ある時、「サンデーソング・ブック」で「パクリネタ特集」があり、調子にのってレポート用紙10枚ほどを封書で番組宛に送付している。ちなみにその放送日は、少し前にインタビューを取らせていただいた竹内まりやさんが参加する「夫婦放談」の回だった。番組では「滋賀県の誰かさんから封書で送られてきました。」と紹介された。とはいえ調子にのって、恐れ多くも達郎さん絡みのネタもふれていたが、それらについては「どんだお門違い!」とバッサリ切り捨てられてしまった。ただ、この番組を聞いていた多くの知人たちから、「「滋賀の誰かさん」って鈴木さんでしょ?」と頻繁に連絡が入り、改めてこの番組が幅広い聴取者に支えられている事を実感した。この件を佐野さんに話すと、「大丈夫、気になったから読んだんだよ!内容が屑だったら、ゴミ箱直行のはず!」と励まされ(?)ている。


そんな宙ぶらりんな状態のなか、当時勤務していた会社の体制が変更となり、仕事環境も閑職セクションから営業職に配置転換となり、且つ単身赴任の身になったので、ライター活動を少々手控えざるえない状況になっていた。そんな時期ではあったが、以前から頻繁に協力依頼を寄せられていた松生さんからは「近くなりましたね!」とばかりに大歓迎され、彼にいくつか付き合わされるようになっている。まずは彼のライフ・ワークの1つであるCliff Richardの来日公演への誘いだった。この来日は1976年以来の27年ぶりということもあって、彼はインタビューをとるなど、精力的に活動していたようだった。そんな彼が「良い席が取れたんで行きませんか?」と頻繁に誘われ、公演日は平日であったが、「終電に間に合う範囲で」との約束で、東京国際フォーラムに足を運んでいる。ただその公演時間は翌日の仕事に差し支えそうで、残念にも最後まで見ることは叶わなかった。


そんな流れで、次に松生さんから協力要請を受けたのは、幼児向け番組「おかあさんといっしょ」「ひらけ!ポンキッキ」「みんなのうた」等の挿入歌などを検証するキッズ・ミュージックへの協力だった。アニメのテーマ関係は佐野さんの守備範囲だったので、「それ以外」ということで調べ始めた。この当時は、長男の影響でNHK教育(現、Eテレ)にて放送されていた「ハッチポッチ・ステーション」にはまっており、また子供の幼少時代にはかなり耳馴染んでいたジャンルだったので、こちらはかなりその気になってまとめている。ところが、やりはじめると海外物の「セサミストリート」や、「童謡」から「小学校唱歌」にも手を付けずにはいられなくなり、リストも膨大になってしまい収拾がつかなくなってしまった。そこで、単なるリストつくりにならないよう、子供たちと一緒に聴いていた「ディズニー・アニメ」「ひらけ!ポンキッキ」をはじめ、ヒーローものの主題歌など自分自身の体験とリンクする曲を中心にまとめていった。


とはいえ松生さん的には主観を入れず、リストを優先させたいという意向だったので、その時点で彼と共同作業は無理と判断して降りることにした。このコラムについては「29」で、「みんなのうた~キッズ・ミュージックの楽しみ~」として松生さん単独でまとめている。私はその後も検証を継続したが、納得できるレベルまでに到達できず、残念ながら未だ「塩漬け」状態のままだ。とはいえ、この調査中には幼少時に言葉が素付かないながらも、ヒーローものでは「仮面ライダーRx Blackと「超力戦隊オーレンジャー」、ポンキッキの「ゴロちゃん」「かいぶん21めんそう」等を一生懸命歌っていた我が子たちの顔や歌声が頭に浮かび、これまでで一番充実した時間となった。

こんな中途半端な状態の中、K君から「29」の内容について「今度はKarapana やらせてもらえません?」という問い合わせがあった。元々、彼はHawii系音楽に造詣が深く、ぴったりだと思い「こだわりがはっきりしていたら、ジャンルは問わないと思うよ。」と快諾した。そんなK君の申し出に「そろそろ自分も」という気になり、そこで頭に浮かんだものが、「Starbuck」と「The Osmonds」だった。前者は、リーダーのBruce BlackmanがEternity’s Childrenに在籍していた関係もあるのでVANDA的にも面白いと思ったが、後者はあまりまともに取り扱われてはいないアイドルもので、佐野さんに確認を取ることにした。ただ「それをまとものまとめられるのは鈴木さんくらいしかいないから、やるべきですよ。」という返答で、今回はこの2つをまとめることにした。


最初に手掛けたものは、一般には「Moonlight Feels Light(恋のムーンライト)」の一発屋というイメージの強いStarbuck。あえて断っておくが、彼等はコーヒーのスターバックスとは全く無関係だ。まずそのファースト・アルバムの成り立ちがとてもユニークだったのが忘れられない。それは表ジャケは「プログレ風」、裏ジャケは「サザン・ロック風」ながら、サウンドは思いっきりポップス!そして、サウンドの要はBo WagnerのマリンバとBlackmanのやる気のなさそうなヴォーカルだった。サウンド展開は、一本調子な感じもあったが、自分的にはかなりはまった。レコード会社がPrivate StockからUnited Artistに移籍したサードではWagnerが脱退してしまうが、ホワンとした浮遊感のあるキーボード・サウンドは魅力的だった。そしてサードを最後にバンドは解散するが、Blackmanはヴォーカリストとデュオを組みKoronaを結成しているがレコーディング活動は終焉を迎える。その後は、Blackmanを中心にWagnerをはじめとする昔の仲間とStarbuckを再編してライヴ活動をしている。そんな彼らの映像も、今ではYou-Tubeで簡単に閲覧できるので、是非チェックしてほしい。余談ながら、このStarbuckの特徴である楽器マリンバは、人気シンガー星野源さんがはまっているという話を耳にした。それは現在放送中のNHK朝ドラ『半分、青い。』のテーマ「アイデア」でもしっかり確認することが出来るのでこちらも要チェックだ。


そしてもう一つ、The Osmonds1960年代に日本では「カルピス」CMで人気の高い兄弟グループだった。しかし、1970年代突入と共に敏腕Mike Curb (注1)により、大ブレイクを果たしている。それは当時全盛期だったJackson 5(以下、J5)の好敵手とし評されるほどの活躍ぶりだった。そのスタートはJ5風のバブル・ガム・ソウルだったが、後には自身のレーベル「Kolob」を設立し、セルフ・プロデュースによるバンド活動を展開し、「Crazy Horse」などロック・ナンバーをヒットさせている。これら一連のヒット曲は、当時のNHK「レッツ・ゴー・ヤング」で、アイドル達によく取り上げられていたので、耳にされた方は多いと思う。その後の彼らは本来のヴォーカル・グループとして、往年のヒット・カヴァーで人気を集めており、人気者Dannyに至ってはミスター・カヴァーソング・シンガー(注2)と称されるほどだった。アイドル好きの私には恰好の題材で、これが後にVANDA30でまとめることになる「1970年代アイドルのライヴ・アルバム」に繋がった気がする。捕捉になるが、このコラムは2007年春に単身赴任先近郊のFM局で、当時大ブレイクを果たしたばかりの嵐と対比したプログラムで放送(70分)している。


この「29」発行から雑誌VANDAはしばらく休刊状態となり、「30」が発行されたのは10年後の2013年だった。この10年間は、佐野さんにとっても私にとっても、多くの出来事に直面している。そこで次回以降の回想録は、雑誌VANDA空白期間から「30」への軌跡を紹介して完結する予定だ。

(注1)1970年当時傾きかけていた古参MGMレコードに20代の若さで社長に就任し、V字回復させた才人。なおこの時、副社長に就任したのはまだ10代のMicheal Llyodが起用されている。その後、Warner傘下にCurbを設立し、Four Seasonsの復活や、Pink Ladyの全米進出にも関わっている。

(注2)Danny Osmondのソロ(妹Marieとデュット含)はカヴァー・ソングが基本で、唯一の全米1位曲もSteve Lawrenceの「Go Away Little Girl」(1962年全米1位)だった。なおオリジナルでのヒットは1988年に全米2位を記録した「Soldier of Love」のみだった。



2018年8月27日23:00

2018 shinowa "Flowerdelic"レコ発ライブ 東京公演

$
0
0
















今年2月にフル・アルバム『Flowerdelic』(LITTLE EYES IN A MEADOW/LEIM-002CD)をリリースしたshinowa(シノワ)が、 レコ発ライブとして、9月16日(日)に東京公演をおこなう。
彼らは96年にリーダー兼リードヴォーカル、ギタリストの山内かおりとギタリスト兼プログラミングの平田 徳(ヒラタハジメ)を中心に大阪で結成されたサイケデリック・ギター・ロックバンド。
01年にファースト・アルバム『Bloom 光の世界』を GYUUNE CASSETTE 傘下の Childish Soup よりリリースし、野有 玄佑(ノウゲンユウ、ベース&ドラム)が加入して現在の男女3人組となっている。


『Flowerdelic』の独創性的なサウンドとポップな感覚の融合は、筆者による前回のレビューを読んで欲しいが、東京近郊でのライブが少ないだけに、この機会に彼等の生演奏を体験してみてはいかがだろうか。
ライブにはサポート・メンバーとして、ギターの西牟田 翔(ウツツキ)、ベース兼コーラスのメラノ斎藤(White Moles/ムチムチプリン)、キーボード兼コーラスの青木ミミ(White Moles/ムチムチプリン)の3名が参加する。

【L to R:
西牟田 翔/メラノ斎藤/青木ミミ/山内 かおり/平田 徳/野有 玄佑】

また最近のトピックとして触れておくが、メンバーの野有が、若干15歳の美少女“それいゆ”を配するSOLEILのセカンド・アルバム『SOLEIL is Alright』(9月19日リリース)に一般公募から「Every Day Every Night」を楽曲提供している。 こちらのアルバムも参加する作家陣のバラエティさから既に話題となっている。


【shinowa "Flowerdelic"リリース関連ツアー】

●9月16日(日) @東京 青山 月見ル君想フ
出演:shinowa,SUGAR PLANT
OPEN 18:00 START 18:30
Adv. 3,000yen Door 3,500yen+1D 600yen
※小学生以下無料
http://www.moonromantic.com /03-5474-8137(月見ル君想フ) 

●10月19日(金)
shinowa ReleaseTour "Flowerdelic"
 @京都UrBANGUILD(アバンギルド/木屋町三条下ル)
出演:shinowa,hinowa,山本精一とbikke,数えきれない,仙石彬人[TIMEPAINTING, Visual]
OPEN19:00 / START19:30 adv.2000yen+1drink /door.2500yen+1drink http://www.urbanguild.net/ur_schedule/event/20181019_shinowareleasetour_flowerdelic

●10/20(SAT)
@大阪なんばBEARS
・詳細は後日shinowa OFFICIAL WEB SITEに掲載

●10月
長崎にてライブ予定有
・詳細は後日shinowa OFFICIAL WEB SITEに掲載
 shinowa OFFICIAL WEB SITE 

(ウチタカヒデ)


ツチヤマコト:『amaoto memo』 (DOTS TONE/dtst-010)

$
0
0


弊誌でも高く評価してきた土屋貴雅のソロプロジェクト“ツチヤニボンド”の現ベーシストで、土屋の実弟でもあるツチヤマコトが、ファースト・ソロアルバムを9月12日にリリースする。
ツチヤは2011年からサウンドクラウド上で自作曲を発表しシンガー・ソングライターとして活動を始めた。13年よりハカラズモ!(現在休止中)に参加し、その後16年春よりツチヤニボンドに参加することになる。そのきっかけは意図されていたのか知れないが、スタジオでのバンド練習に参加しそのままライブに出演して、気付いたらメンバーになっていたという。
ツチヤニボンドの革新的で雄一無二なサウンドの素晴らしさは、筆者の過去レビューを一読して欲しいが、ここではツチヤのこのソロアルバム『amaoto memo』を紹介したい。 

本作は基本的にツチヤの自宅スタジオを中心にエンジニアリングも含め一人多重録音でレコーディングされており、各種ギターとベース、キーボードの主要楽器は彼がプレイし、サポートとしてハカラズモ!のドラマーである吉川賢治が全曲、フルート奏者の松浦彩花、パーカッショニストの篠原玄が各2曲で参加している。
またミックスとマスタリングには、ツチヤニボンドをはじめ個性的なバンドやアーティストを多く手掛けるエンジニアの中村公輔が担当しているのも大きなポイントだ。
アルバム全体的に音数を削ったギター主体の風通しのいいリズム・トラックに、詩情溢れる心象風景を描いた独特な世界が浮遊感あるヴォーカルによって歌われる
メロディのスケールやコード進行には60年代中期以降のポップスやサイケデリック・ロックの匂いがするので、所謂ソフトロックとカテゴライズされるも理解出来るが、それだけには収まらないサムシングな魅力があるのも確かだ。

   
では筆者が気になった主要曲を解説していこう。
冒頭の「雨音メモ」は1分10秒の小曲だが、イントロの4小節を聴いて直ぐに本作の素晴らしさを感じ取った。複数のギターがリズムのタペストリーを紡いで、有機的に動くベース・ラインとミッドテンポのシェイクでグルーヴするドラム・パターンだけでサウンドは完成されている。
続く「かくれんぼ」は前曲の変奏曲のようだがコード進行はやや異なる。ブリッジのエレキギターのリフにはポール・マッカートニーの匂いがして、続く松浦のフルート・ソロもソフトサイケなスケール感がたまらない。
「おはようとさようなら」はバーズ風の西海岸フォークロック調のバースに、英国のマージービート風のフックが融合しているユニークな構成だ。この曲もシンプルな楽器編成なのだがパート毎のコード転回が巧みなので聴き飽きない。

本作中最も異色なのはインストの「新しい街で」だろう。フェイザーを効かせたエレキギターのリードのバックでアコースティック・ギターがボサノヴァを刻む。巨匠エンニオ・モリコーネの60年代末期~70年代初期のラウンジ系サウンドトラックを彷彿とさせる音像が爽やかである。
本作中最もビーチボーイズ(ブライアン・ウィルソン)の影響下にあると思しき「夢の続き」は、リズム・アレンジやコーラス・ワーク的に非常に凝っており、音楽通が多いWebVANDAの読者に最も好まれるだろう。
ラストの「森のリズム」は60年代中期のサイケデリック・ロックとその影響下にある80年代のネオアコースティック系のサウンドに通じており、筆者が好きなLove & Rocketsの『Earth Sun Moon』(87年)を彷彿とさせた。
ツチヤが所属するツチヤニボンドのエクスペリメンタルなサウンドとは異なる、彼独自の音世界に興味を持った音楽ファンは是非入手して聴いて欲しい。
(ウチタカヒデ)


【速報】ザ・ペンフレンドクラブがクリスマスアルバムを11月14日に発売

$
0
0



【Merry Christmas From The Pen Friend Club】
(メリークリスマス・フロム・ザ・ペンフレンドクラブ)

アーティスト名:The Pen Friend Club / ザ・ペンフレンドクラブ
発売日:2018/11/14
品番:PPRD-0004
価格:¥2,500(税抜)
ライナーノーツ:Tommy(Vivian Boys)
発売元:ペンパル・レコード

『冬の圧倒的多幸感!ザ・ペンフレンドクラブのクリスマスアルバム!』

マライア・キャリー「恋人たちのクリスマス」、ダーレン・ラヴ「クリスマス」、ワム!「ラストクリスマス」、ザ・ビーチ・ボーイズ「リトル・セイント・ニック」に、往年のクリスマスナンバー群とオリジナル曲「Christmas Delights(カンケ編曲)等、全16曲を堂々封入!!
ライナーノーツはVivian BoysTommyが執筆!


・収録曲
1.All I Want For Christmas Is You
2.Christmas (Baby Please Come Home)
3.Frosty The Snowman
4.Santa Claus Is Comin' To Town
5.I Saw Mommy Kissing Santa Claus
6.Rockin' Around The Christmas Tree
7.Last Christmas
8.Winter Wonderland
9.Christmas Delights
10.White Christmas
11.Let It Snow
12.Jingle Bell Rock
13.Little Saint Nick
14.Amazing Grace
15.Auld Lang Syne
16.Silent Night


・The Pen Friend Clubプロフィール
2012年に平川雄一により結成。ザ・ビーチ・ボーイズ、フィル・スペクター周辺の60年代中期ウェストコーストロックをベースとした音楽性。2015年にはザ・ゾンビーズやジェフリー・フォスケット来日公演のオープニングアクトも務めた。過去5枚のアルバムは全てロングセラーとなり、LP盤も全てソールドアウト2017年にはベストアルバム『Best Of The Pen Friend Club 2012-2017』をサザナミレーベルより発表。

・メンバー構成
Gt.Cho-平川雄一
Vo.Cho-藤本有華
Ba.Cho-西岡利恵
Dr.Per-祥雲貴行
Org.Pf.Flu.Cho-ヨーコ
Glo.Per-中川ユミ
Sax.Cho-大谷英紗子
A,Gt. Cho.-リカ



Promotional film trailer for Monkey's Uncle found.

$
0
0

The Beach Boys自身の映画出演作は極めて少ないが、その中のうち「Monekey's Uncle」(Richard M. Sherman、Robert B. Sherman作)のプロモ16mmフィルムを入手しデジタル化してみた。


内容は本編映画オープニング部分を利用した内容になっているが、こちらはモノクロではあるものの本編では見られない内容となっている。

 
【映画版本編オープニング】

「Monkey's Uncle」のイントロが流れると間も無くDisneyのロゴが登場し歌い出しに入りいいところでAlと Carlが写るポジションに“The Monkeys Uncle”のロゴの一部がかぶさり見えなくなってしまうが、 プロモ版ではロゴの登場がなくイントロから通しで演奏を見ることができるのだ。
本編ではAnnette Funicelloの歌が入るとロゴが消え、しばらくロゴなしの演奏シーンが見ることができるが、"Ape for me!"とハモろうとした瞬間、今度は出演者等のクレジットが出現しBrianの姿が消されてしまう。 プロモ版ではこのようなことがなく、"Ape for me!"とハモり、見得を切っているメンバーの姿が確認できるが、Brianの口があってないのがご愛嬌だ。そしてイントロのメンバーのユニゾンで"Uh, huh, She loves the monkey's uncle"から始まる部分もロゴの壁に阻まれ全体を見ることができないが、プロモ版では容易に見ることができる。
それ以降も出演者等クレジットが流れダンス会場と思しきダンスに興じる映像と間奏の後AnnetteとMikeがモンキーダンスを踊るシーンにと変わるが、プロモ版では宣伝の為なのか劇中シーンの数々がコラージュされ流れる仕様となっているので、 "A bride! A groom! A chimpanzee! "と、映画ではハモっているシーンも出てこない。再び"AnnetteがLove all those monkeyshines,Every day is Valentine's"と歌い出し、"Ape for me!"とハモる瞬間製作者のクレジットがBrianの胸あたりに出現し、画面中央部に映し出される形となっている。

プロモ版の方はロゴの登場はなく終部まで演奏が続くように編集されている。 プロモ版で仕様されている音源はモノ音源だが、シングルとは異なるミックスとなっており全体的にベース音が大きくコンプレッションの効いたやや歪んだ音で、Annetteのヴォーカルにはエコー処理がされていない。おそらく映画館での音響を考慮しての結果と思われるので映画版も同様の処理がされていると思われる。 また本作のラジオのスポット広告用プロモレコードもあり、歌なしの演奏やコーラスのみのパートを断片的に聞くことができる。

【「Monekey's Uncle」プロモ16mmフィルムデジタル化版】


セッションデータによれば、録音は1964年6月16日Sunset Soundで行われており 、メンバーは以下の通りだ。

Hal Blaine (drums)
Gene Estes (percussion)
Bill Pitman (guitar)
Tommy Tedesco (guitar)
Steve Douglas (saxophone)
Jay Migliori (saxophone)

一年後奇しくも『Pet Sounds』〜『Smile』まで長い付き合いとなるメンバーである歌の方は別の日に行われたようだ。
この録音を仕切っていたのはSalvador "Tutti" Camarata、Disneyの音楽部門のトップである。戦前からミュージシャンやビッグバンドのアレンジャーとして活躍し、米Deccaから多くの作品を手がけ、渡英の際米国内へ英国産クラシック音楽の普及の為にLondon Recordの立ち上げにも関与している。後にDisneyに見出され音楽部門で手腕を発揮し独自レーベル設立や今では有名になったDisney映画のヒット曲を手がけ、Annetteのデビューもその中の一つである。
Annetteは「Monkey's Uncle」の前にはサーフィンを主題とした映画にいくつも出演し劇中歌の提供者にBrianやGary Usherも名を連ねている。
当時GaryがDeccaの製作スタッフにコネがあったのもThe Beach Boys起用に影響があったと思われる。

セッションの話に戻るが、録音場所のSunset Soundの設立者はCamarataであり、Disney関連専門の音楽スタジオが当時なかった為自ら設立したものであった。Disneyの経営からCamarataが離れるとスタジオ経営に専念し、多くのミュージシャンから愛されロックの名盤を数々生んでいる。
The Doorsの『Strange Days』からPrinceの『Purple Rain』、Decca/London繋がりの妙縁かThe Rolling Stonesの『Exile on Main St.』が代表作だ。現在も親子二代に渡って経営を続けている。
(text by MaskedFlopper / 編集:ウチタカヒデ)

【ガレージバンドの探索・第二回】 バミューダ諸島のガレージバンド

$
0
0

60年代のバミューダ諸島のガレージバンドがかっこいい。 
Crypt RecordsやArf! Arf! のコンピレーションでもよく登場するThe Savegesは比較的有名かもしれない。
1966年、Eddy De Melloが運営していたDuane Recordsから、首都ハミルトンのPrincess HotelのナイトクラブHubでの演奏を収録したライブ盤フルアルバム 『Live'n Wild』 (Duane ELP 1047)がリリースされている。



収録曲はThe Drifters、The Animals、アイスランドのパンクバンドTHOR'S HAMMERのカヴァーの他、オリジナルが9曲。オリジナル曲の 「The World Ain't Round, It's Square」 を初めて聴いた時は衝撃的だった。

   

同年、ニューヨークのA&Rスタジオでもレコーディングを行っているのだけれど、その滞在中にハーレムを訪れた際、メンバーの誰かが侮辱的な発言をしたことで命に関わるような騒動が起きたらしい。
詳細は明らかにされていないけれど、この出来事が原因でバンドは解散した。

『Live'n Wild』 も前回の記事で取り上げたThe Rising Storm の『Calm before…』 同様、再発が出るまでは入手困難なレアアイテムだったそうだ。1984年にResurrection Recordsから、2017年にTwitchin' Beatから再発があり、オールデイズレコードジミー益子監修 60’s GARAGE ROCKIN’ OLDAYSシリーズの復刻CDも先月発売されている。ニューヨークで録音されたシングル曲の「Roses Are Red My Love」がボーナストラックで収録されていて嬉しい。 The SavegesはThe Gentsというバンドの影響を受けて結成された。The Gentsも1966年にDuane Recordsから7インチをリリースしている。

   
「If You Don't Come Back」/「I'll Cry‎」(DUANE 1048) 

 The SavegesやThe Gentsは、トワイライトガレージのようでもあるけれど、The Rising Storm のメランコリックさとは違う、どこか神秘的な、乾いた激しさを感じる。

同ジャンルで、Duan Recordsから最初にリリースしていたのはThe Weadsというバンドだった。彼らはニューヨーク、ストーニーブルック校の学生バンドなのだけれど、学校にバミューダ出身の生徒がいた。
その生徒が持ち帰ったThe Weadsのデモテープを聴いたEddy De Melloは、すぐにメンバー達にコンタクトをとり、3年10曲の契約を結んだ。約1年後には、レーベル離脱を望むThe Weads とEddy De Melloとの間でトラブルが生じ、契約が達成されることはなかったようだけれど、1965年に7インチ「Today」/「Don’ t Call My Name」(DUANE 1042)がリリースされている。




「Today」はローカルラジオ局ZBMで流され、バミューダで2位になった。 リゾート地のバミューダ諸島で休暇を過ごしていた学生達にも、The Weadsは広く知られることになり、島の周辺やPrincess Hotelでライブを行った際も観客が集まった。
The Weadsの7インチの成功は、後のThe SavegesやThe Gentsのリリースにつながったようだ。

 参考・参照サイト
https://www.garagehangover.com/category/country/bermuda/
https://www.discogs.com/label/511618-Duane-Records-2
https://www.discogs.com/ja/artist/897952-Eddy-De-Mello
https://merurido.jp/item.php?ky=ODR6633 
(文:西岡利恵 / 編集:ウチタカヒデ)

small garden:『歌曲作品集「小園Ⅱ」』 (small garden studio/SGRK-1801)

$
0
0
















昨年11月に紹介したsmall garden(スモールガーデン)が、3作目で4曲入りEPの『歌曲作品集「小園Ⅱ」』を9月29日にリリースする。
small gardenは小園兼一郎(コゾノ ケンイチロウ)によるソロ・ユニットで、これまでにファースト・アルバムの『歌曲作品集「小園」』(16年10月)と、昨年9月に2作目のEP『Out Of Music』をリリースしている。ソフトロックやネオ・アコースティック、ジャズ・ミュージックのエッセンスを内包したそのサウンドは同業ミュージシャンや音楽マニアに熱く支持されている。
本作も前作、前々作同様、ソングライティングとアレンジ、全ての演奏(ベース&ドラムはプログラミング)はもとより、ミックスダウンからマスタリングまで小園が一人で担当している。
また『歌曲作品集「小園」』に参加した山本ひかり(野沢菜)が4曲中2曲でヴォーカルを取っており、内1曲の作詞を小園と共作している。
小園のプロフィールについては前回のレビューを読んで頂くとして、今月前半に音源を入手してからすっかり聴き込んでしまっている本作の収録曲を解説していこう。



冒頭の「残夏」は、ハイブロウなコード進行に変拍子のドラミング、小園自身によるサックス・ソロからなる1分ほどの長くドラマティックなイントロから幕を開ける。この構築力は北園みなみにも通じるが、筆者は初めてこのイントロを耳にして彼の比類なき才能を改めて感じたのだ。
本編はシャッフル系のリズムでグルーヴするバースからソナタのように展開して、山本のナチュラルでスムーズなリード・ヴォーカルを引き立てる。
山本と小園のヴォーカルの掛け合うパートでは、Lampの榊原香保里と永井祐介のそれを彷彿とさせる瞬間もあり彼等のファンは聴いてみるべきだろう。そしてこの曲のハイライトへと雪崩れ込むコーダでのサックス・ソロで、解き放たれる感情を抑えられなくなってしまう。
正に今年の個人的ベストソングの中の1曲として選びたいほどの曲なのである。
続く「横顔」は小園のヴォーカルをフューチャーしたマイケル・フランクス風のメロウなAORサウンドで、所謂シンガーソングライター・ヴォイスというべき味わい深い歌声がオケに溶け込んでいる。この曲でも彼のサックスのインタープレイが際立っており、単なるソロの域を出て楽しめるのだ。


MORとニューソウルの狭間にあるような「シュールポワール」は、無重力な5拍子のリズムと独特なコード進行が特徴的だ。デジタル・ピアノとアナログ・シンセ系のリフもいいコントラストを生んでいる。キープするのが難しいと思われる絶妙なメロディ・ラインであるが、小園のヴォーカルは飄々とクールに聴かせている。
ラストの「8番目の月」はリード・ヴォーカル山本が作詞も小園と共作している、ジャズ・サウンド寄りの曲である。リズム・セクションのないサックス・アンサンブルのみをバックに歌われるパートから4ビート・ジャズへと展開する心憎い演出もさることながら、これからの季節に似合う歌詞が山本と小園のデュエットで歌われる。曲が進むにつれてアップテンポになるアレンジも素晴らしい。音大のジャズ科出身者ならではのサウンドの構築はさすがである。

さて本作は本日9月29日より高円寺のディスクブルーベリーで初回限定盤として先行で独占販売されるという。
全国流通は12月を予定しているので、このレビューを読んで興味をもった音楽ファンは是非初回限定盤を入手してすぐに聴くべきだ。
ディスクブルーベリー
http://blue-very.com/


 ・初回限定盤(黒、赤のクラフト紙ジャケット仕様)


・通常盤(黄土色の生成りクラフト紙ジャケット仕様)

(ウチタカヒデ)




佐野邦彦氏との回想録16

$
0
0


 今年の異常なまでの猛暑もやっと峠を越え、秋の気配が感じられる季節となった。昨年の今頃は佐野さんと共同での「Jigsaw Complete」復刻作業に全力で取り組んでいたことを思い出す。以前、第2回と3回で紹介したように、8月末に910日の『Song To Soul』放映に併せた第一回発売分の選曲と解説を完成させ、9月初旬には発売前のラフに最終校正を終えていた。そして、中旬からは発売元から送られてくる第二回発売分の音源をチェックするという選曲作業を二人三脚で続けていた。今にして思えば、私はフルタイムでの仕事を終えた夜間と休日、佐野さんに至っては末期の病気療養中の体調を気遣いながらというコンディションの中、お互いよく頑張ったものだと感心する。

 綿密にいうなれば、この仕事は佐野さんと付き合いを始めてから最も濃厚な作業だった。当時、体調の関係で電話のやりとりが出来ない佐野さんとの打ち合わせはメールがメインだった。その頃やりとりしていた長文に渡るメールの内容を振り返ってみると、お互い「これが最後」とばかりに後悔の無いよう、こだわりにこだわって取り組んでいたのがよくわかる。ただ彼は、雑誌VANDAの休刊時期にも、放送やネットなどメディアを通じて多くの情報を発信し、また多くのリイシュー盤のライナーやコミケの復刻作業をこなしていた。それに対し私は、個人的な趣味を反映した程度の活動しかこなしていなかったので、彼のレベルに合わせた作業は大変なものだったが、人生で一番充実した時間だったように感じている。

 余談ながら、佐野さんが逝って間もなく一年となる秋の彼岸をひかえたこの時期、毎回楽しみにしている『激レアさんを連れてきた』(注1)で登場した「軍艦島を世界遺産に導いた人」の回を見て、彼と語り合った「軍艦島」の話がよみがえった。彼と付き合いのあった方ならご存知のように、新婚旅行で「冒険ガボテン島」をイメージした「ボラボラ島」(注2)を訪れたほどの離島マニアで「軍艦島」もお気に入りだったが、生前上陸は叶わなかったと聞いている。私は以前在籍していた会社の福岡勤務時に「管理職以上はスキューバダイビング・ライセンス必携」とのオーナー号令により、ライセンス取得に長崎に通っていた。その海上実習時に休憩ポイントでこの島に上陸したことがあった。その話をした際に彼が羨ましがったことを思い出し、番組をダビングして佐野宅へ送付した。到着と同時に奥様から連絡を頂き、「我が家でもこの放送を拝見しており、家族で永久保存版だねと話していたところでした。」と謝辞をいただいた。私にしてみれば、生前の彼には多くのお願いをしたが、彼の依頼には3回ほどしか役立てていない。これはそんなお返しのつもりだったが、予想以上に喜んでもらえ、うれしいやら気恥ずかしいような気分だった。



 
 さて前置きが長くなってしまったが、これまで続けている佐野さんとの回想録を始めよう。今回は「29」発行後の2003年夏以降について進めていく。まず、この時期で佐野さんにとって最も印象的な出来事といえば、2004年夏のThe Who初来日公演(注3)だった。公演当日は、猛暑で炎天下の野外公演だったらしいが、生で見るPeteRogerのアクションは大感激ものだったと興奮気味に話していた。ただ、その日に訪れていた大半を占めた(トリに控える)Aerosmith目当ての観客からの(The Whoパフォーマンス中)「早く終われ的雰囲気」が漂っていて多少不快な気分も味わったようだった。



 
 そして2006年にはビクターより、Jigsawの紙ジャケによる再復刻のオファーを受けている。そこで佐野さんは初復刻となったテイチク盤では実現できなかった未CD化ナンバーをボーナス・トラック収録に奔走し、さらに最新データも盛り込んだ充実したライナーもまとめている。なおこの発売直前の第70回(200622日)のRadio VANDAでプロモーションを兼ねた特集を放送している。ちなみにこの復刻盤は、2017年にコンプリート版が発売されるまで、かなり高額で取引されるほど人気を博している。


 そんな彼をよそに、この時期の私は本業の仕事が多忙で、ライターらしい活動はほぼ皆無の状態だった。ところが偶然にも、仕事を通じた得意先からスポンサーをしているコミュニティFM局のスタッフにVANDA誌のバックナンバーが渡り、ある日突然出演のオファーを受けた。その初出演は2006217日のレギュラー番組(注4)で、担当が地元出身の同世代ミュージシャンだったこともあり、その後も良い付き合いを継続することになった。また、その翌月にはパーソナリティの都合で2時間番組(注5)のプログラムを依頼され、企画書を制作している。しかし局では全音源が揃わず、自己所有の手持ち持ち込みで327日に初DJを体験した。こんな成り行きで、しばらくこの二つの番組に準レギュラーのような形で参加するようになった。



 
 ちなみに2006年に放送したプログラムは、5512日にロック世代の日本語詞特集。この内容は、佐野さんと知り合った頃に盛り上がりVANDA誌にも掲載したネタで、Web7回目でも紹介していたものだ。ちなみに、担当者がこの企画で一番興味を示したのは、Scorpionsの来日公演『Tokyo Tapes』に収録された「荒城の月」だった。そして、712日に映画(~テレビ)『ウォーター・ボーイズ挿入歌特集』、109日には『Bread特集』をオンエアしている。この中でBreadの特集は、未聴取地区でも評判となったことは以前にもふれたが、自分自身が放送を継続させていく自信を持った企画だった。捕捉になるが、佐野さんはこの年の831日(増刊号 Part 1)にRadio VANDAで、それまであまり触れることのなかった和物の特集を組んでいる。この時に紹介したのは、このWebでもお馴染みのスプリングス「Have A Picnic~心の扉」(注6)や、Lamp「ひろがるなみだ」(注7)で、日本の音楽にも造詣の深いところを見せている。ちなみに、スプリングスはかなりお気に入りだったらしく、放送前にサンプル・カセットが届いている。



 
 また余談になるが、この20061129日には佐野さん待望の『Garo Box(10CD+DVD)』(定価23,100円)が発売になっている。ただこのBoxは発売前に告知された商品と正規流通商品とは一部内容が違っている。その詳細は、DVDに収録される予定だったCSNカヴァー2曲(「Guinnevere」、「青い目のジュディ(Suite:Judy Blue Eye)」)の映像が許諾を得られず、Garoのオリジナル(「姫鏡台」「ビートルズは聴かない」)に差し替えとなっている。とはいえこの回収作業は発売直前だったため、都内大手ショップへの出荷分は徹底回収されていたようだが、中小のショップまでには間に合わなかったようだった。そのため、近所のレコード店に予約していた佐野さんは運よく差し替え前の商品を入手することが出来た。この事実は即彼から連絡を受け、映像をダビングしてもらい、その差し替え前の映像を見る恩恵にあずかっている。そこには当時和製CSN”と称されていた時代のGaroの姿があり、映し出された演奏に大感激した。その後、この商品はヤフオクにも出品されていたが、既に23倍となっており、現在でも10万円前後で取引されているようだ。



 
 話は私に戻すが、ライター活動は開店休養中だったが、翌2007年からはFM局パーソナリティの依頼もあり、休日のハッピー・マンディを利用して、ラジオのDJ活動を活発化させている。そのプログラムは、これまでVANDA誌に掲載したものを中心に組んだ。それは212日の『America』、430日『The Osmonds』といったものになる。とはいえ、この時期に最も集中してまとめたプログラムは、この年の327日に逝去された1960年代を代表するスーパー・スター「植木等」の追悼特集だった。この放送はチューバ奏者S氏の番組60分枠をほぼ提供していただき615日にオン・エアした。当日はサントラやライヴ音源まで網羅し、稀代のエンタティナー植木さんを偲んだ。このVANDAを想定しないで取り組んだプログラムは、それまでの佐野さんを意識したものよりもスタッフ受けが良かったので、以後はこのような独自プログラムも組むようになった。



 
 ちなみに、これ以降に放送したプログラムは、『Hatch Potch Station替え歌特集』(7/7) 、『Dunhill RecordThe Grass Roots』(7/16)『Hatch Potch Station 替え歌特集Part 2』(8/14)などで、年末の1224日には実に18年ぶりの新作『run』をリリースし、当時「再結成は今回限り」(実際は、2018年現在も活動中)とコメントのあったチューリップを全曲ライヴ音源で選曲した特集を企画した。このように、私のプログラムは佐野さんとは方向性が違う、やや大衆的でコアなものになっている。当然ではあるが、彼が「Radio VANDA」の音源を送付してくれたように、私も彼に放送音源を送付していた。そんな彼から「鈴木さんの引き出しの多さに頭が下がります。」と評価していただき、以後もこのスタンスで継続した。

 そんな中、松生さんより「昭和の音楽や映画などをネタにした「脳の活性化」についての企画が通ったので、制作に協力してくれませんか?」という依頼があり、この年の後半はこの企画の資料集めに奔走している。なおこの活動は2012年に発売する私名義の本の出版や、2013年のVANDA30の掲載内容に繋がっていくことになるのだが、話が長くなってしまうので、今回はここで留めておくことにする。

(注1)実際に激レアな体験をした激レアさんをゲストに招き、その体験談をひも解いていくプログラム。テレビ朝日月曜日2315からの60分番組。

(注2)南太平洋フランス領ポリネシアのソシエテ諸島にある1周約30Kmの本島と、その周囲を約40Kmのリーフ(岩礁)に囲まれている。島中央にそびえるオテマヌ山(727m)の姿がアニメ「ガボテン島」を連想させる。

(注3)大塚製薬協賛、ウドー音楽事務所主催で200472425日に渡って横浜国際総合競技場(現:日産スタジアム)と大阪ドーム(現:京セラドーム)で同時開催された「POCARI SWEAT BLUE WAVE The Rock Odyssey 2004」。出演者はAerosmithThe WhoPaul WellerLenny KravitzRed Hot Chili Peppersなどで、両会場を日替わり交代で参加した。

(注4)市内(旧清水市三保)出身の東京芸大卒のチューバ奏者S氏がパーソナリティを務める毎週金曜日19時からの音楽番組「ワープ、ワープ、ワープ“Boss Jun アワー」(メインは吹奏楽)。Boss Junは、彼がサントリー缶コーヒーのイラストに似ている事と本名とを併せた合成語。また彼は吹奏楽振興のために全国行脚し、開催現地の吹奏楽経験者を集めた「自由音楽会」をライフワークにしている。

(注5)毎週月曜日10時(再放送は日曜13時)から放送されていた2時間枠の情報バラエティ番組パステルタイム。私は2006年以降の祭日月曜(ハッピー・マンデー)に自作自演のプログラムを自己所有の音源持ち込み(紙ジャケ展示で7080分)で出演した。

(注61995年にヒロ渡辺を中心に結成された音楽ユニット、19962月『SPRINGS』でデビュー。この曲を収録した199710月リリースの『PICNIC』は和製ソフト・ロックの最高峰と話題をよんだ。

(注72000年結成、20034月『そよ風アパートメント201』でデビューした3人組バンド。この曲は2004年のセカンド・アルバム『恋人へ』の収録曲で、ウチ氏より萩原家健太氏に紹介され読売新聞のコラムでも紹介されている。

20189192200

WACK WACK RHYTHM BAND:『Easy Riding / I’ll Close My Eyes』『Madras Express / Stay-Pressed』(WWRB/WWRB001, WWRB002)

$
0
0

















WACK WACK RHYTHM BAND(以下ワック)が、2012年のベスト・アルバム『XX CLASSICS』(HIGH CONTRAST/HCCD-9535)から約6年振りとなるリリースを、7インチ・アナログシングルで2ヶ月連続発表する。
彼等は90年代初頭にリーダーの小池久美子を中心に結成され、東京のクラブ・シーンを背景にUK経由のR&Bをベースとしたインスト・グループだ。
弊誌でも03年のオリジナル・セカンド・アルバム『WACK WACK RHYTHM BAND』(FILE / FRCD-116)を皮切りに、続く05年のサード・アルバム『SOUNDS OF FAR EAST』(FILE / FRCD-146)は、当時筆者が連載していたフリーペーパー誌でも取り上げるほど贔屓にしているバンドである。
その後幾度かのメンバー・チェンジはあったが、結成当時からのハイセンスな折衷感覚は健在で、東京の拘り派ミュージシャン達の集合体であるワックならではのスタンスを感じさせる。
彼等にはVANDA読者にもアピールする、ソフトロッキンなナンバーも多く、セカンド・アルバム収録の「Bittersweet In My Bag」や「Dreams Come Through」は特にお勧めだ。



さてここでは、10月10日と11月11日のぞろ目の日付にリリースされる『Easy Riding / I’ll Close My Eyes』(WWRB/WWRB001)と、『Madras Express / Stay-Pressed』(WWRB/WWRB002)について解説したい。
「Easy Riding」はハーブ・アルパート&ザ・ティファナ・ブラスに通じるトランペットがリードを取るサウンドで、アレンジにはジミー・ウエッブの匂いがするソフトロック・インスト・ナンバーだ。ライヴでは08年からプレイしており、ソングライティングはキーボードの伊藤寛が担当している。
ブリッジの転調は5th ディメンションの「It's a Great Life」(『Stoned Soul Picnic』収録 68年)をオマージュしていて、初期ORIGINAL LOVEファンもニヤリとするに違いない。因みにこの曲のミックスはマイクロスターの佐藤清喜が担当している。
カップリングの「I’ll Close My Eyes」は、元々英国のコンポーザーであるビリー・リードの作品で、後にアメリカのソングライター、バディ・ケイが歌詞を付け加えてミュージカル映画『Sarge Goes To College』(47年) でフューチャーされヒットした。その後ジャズ・スタンダードとして、トランペッターのブルー・ミッチェルの演奏やヴォーカリストのサラ・ヴォーンの歌唱で知られるようになる。
歌物ではそのロマンティックな歌詞を讃えたバラードとしてアレンジされることが多いが、ここでのカバーは、名匠アーティ・バトラーがアレンジした67年のゲイリー・ウィリアムズのヴァージョンを下敷きにしたミッド・テンポでプレイされている。メンバーによる甘い男女混声ヴォーカルとコーラスやトップで鳴っているグロッケンなどソフトロック・サウンドがVANDA読者にもお勧めである。ミックスはベーシストの大橋伸行(元ブリッジ)が担当している。
蛇足だがこの原曲のメロディ・センスは、山下達郎の「あまく危険な香り」でもオマージュされているのをお気づきだろうか。


【I'll close my eyes - wack wack rhythm band feat. Three Little Birds (from THE SKA FLAMES】
※このシングルではメンバーによる歌唱。


「Madras Express」 はアフロ~カリビアン・ファンク調のハイテンポなインスト・ナンバーで、4管のホーン・アンサンブルとソリッドなリズム・セクションのプレイがたまらない。アナログ・シンセのフリーキーなソロやテナー・サックスのインタープレイも楽しめる。80年初頭にカリブ出身の知る人ぞ知る同名バンドがおり、そのサウンドからの影響も感じさせて興味深い。ソングライティングはテナー・サックスの三橋俊哉で、ミックスはトランペットの國見智子が担当している。
カップリングの「Stay-Pressed」も三橋が手掛けた曲であるが、前曲とは打って変わってロンドン経由の洗練されたスタックス・ソウル系のインスト・ナンバーである。ゆるくシェイクする独特なエイトビートとハモンド・オルガンが特徴的で、正しくスティーヴ・クロッパーを意識した山下洋のギターソロも聴きものだ。ミックスは大橋が担当している。

以上の2枚の7インチ・アナログシングルは、大型レコード・チェーンの他、独立系店舗でも扱っているので、彼等のface bookでチェックしてほしい。
https://www.facebook.com/wackwackrhythmband/



そして11月21日には、ワックの記念すべきファーストアルバム『WEEKEND JACK』がボーナス・ディスク1枚をつけてリイシューされる。コーネリアスこと小山田圭吾が主宰していたトラットリア・レーベルから98年にリリースされ、20年後の今でも色褪せないフリーソウル・アンセムの「HIT AND RUN」をはじめとしたオリジナル・アルバム11曲をディスク1に収録。
ファースト・マキシの『TOKYO SESSION』(94年)、トラットリアのコンピレーション・アルバム『Bend It! Japan 98』(98年)と『MENU200』(00年)、またカセットのみでリリースされ今回初デジタル化される『LIVE AT YOYOGI-PARK』(96年)からの計9曲に今回ここで紹介した「Easy Riding」がディスク2に収録されている。
既に廃盤になっている音源も多いので、読者をはじめ音楽ファンはこのリイシュー盤も入手すべきだ。
(ウチタカヒデ)




FMおおつ(79.1MHz)へのラジオ出演について / 鈴木英之

$
0
0

113日(土)久々にFM番組に出演します。参加させていただく今年41日に滋賀県大津市に開局したFMおおつというコミュニティ局の「この人に聞きたい」(11001255)というインタビュー番組になります。なお私のFM出演は、著書『よみがえれ!昭和40年代』(小学館)を発売した2012年にFM清水以来となるので、約6年ぶりとなります。また放送メディアへの登場としては、昨年6月の『chouchou(シュシュ)』(テレビ朝日/ナビゲーター:夏目三久さん)以来なので、約1年のぶりブランクでということになります。



では、ゲスト出演させていただくFMおおつについて簡単に紹介しておきます。局の最寄駅としては、JR湖西線大津京、京阪石坂線大津京(旧:皇子山)になります。周波数は「79.1MHz」で、放送時間は6002100、送信出力は「10w」ということなので、受信可能地域は滋賀県大津市に限定されます。


今回出演のきっかけは、今年の1月に朝日新聞で開局の記事を発見しそこに書かれていた代表の古田誠氏のプロフィール記事に興味を持ったことに始まります。彼は「毎日新聞」の記者から、「和歌山放送」の編成技術部長を歴任された方です。学生時代には故大瀧詠一氏の「Go!Go!Niagara」のヘビー・ユーザーとして氏と親交も深く、何と大瀧氏の曲に作詞を提供したことがあります。その曲は1979年にKingレコードより発売された「ビックリハウス音頭」(GK-324)のB面で高橋章子さんが歌った「ある乙女の祈り」です。その事実は、よほどコアな大瀧ファンでもない限り知るはずのない事例で、このレコードを古田氏が所有されているかも不明です。そんな記事の末尾に「パーソナリティー随時募集」という記事を発見し、119日に面談に出かけ、面接担当者が同世代という事もあり30分予定が1時間を超すものとなりました。結果は「時間枠の改編状況待ち」ということで、採用時用のスナップ撮影を済ませ、クールの調整待ちということになっています。


今回のゲスト参加は、これまでいくつか企画を提出しているので、ウォーミング・アップのような出演になります。この日は「文化の日」に制定されている「レコードの日」を話題に、インタビューされるというものです。ちなみに、この日が制定されたのは2015年で、発起人となったのは、当時アジア圏で唯一となっていたレコードプレス工場を擁していた東洋化成社です。この日は現在低迷する音楽業界で復調の兆しを見せているアナログ・レコードを新旧織り交ぜて集中してリリース・ラッシュしようという活動で、いわばアナログ・レコードの祭典という催しです。



ということなので、113日はレコードが発明された日ではありません。ちなみにレコードの発明は1877126日にトーマス・エジソン(U.S.A.)が錫箔円筒(すずはくえんとう)蓄音機を公開実験した日になります。このシステムは「フォノグラフ」と命名され、後にこの日は「音の日」に制定されています。ただこの当時のシステムは、音楽用途の想定はなく、目の不自由な方むけの補助機器として開発されたようです。


そして現在のレコード(CDDVD,BDにも)につながる円盤型メディアの歴史は、18879月にエミール・ベルナU.S.A.)がワックスを塗った平円盤レコードと蓄音機を発明した「グラモフォン」に始まります。これが、現在のように水平のターンテーブルに載せて再生するシステムです。とはいえ、当時の収録時間は10インチ(25cm)で3分、12インチ(30cm)でも5分ほどだったらしいです。捕捉ながら、このシステムが日本で紹介されたのは、18996月東京・浅草に開店した蝋管蓄音機店三光堂になります。

今でも骨董品として一般にも有名な「朝顔型ホーン付円盤蓄音機」は19029月にRCA.VictorU.S.A.)から発売されました。これはポリ塩化ビニール盤を鉄針の振動を利用して再生するもので、現在のようなダイヤモンドやサファイヤの宝石を使用した永久針で再生するシステムが開発され、1948621日にColumbiaU.S.A.)から発売されています。その後、それまでの12インチでも30分という長時間収録できるLong PlayLP)が発売されました。さらに翌1949年にはRCA Victor17cmで58分収録できる「ドーナツ盤」が発売となり、これらは後のジュークボックスの攻勢に繋がっています。

このような歴史をたどってレコード(アナログ・ディスク)は誕生し、現在に至っているわけです。なお、アナログの売上は音楽産業の飛躍と共に巨大化の一途をたどり、ピークの1980年には1811.6億を記録するまでになっています。この金額を現在で例えるとすれば、「民泊事業」や「手芸業界」、大リーグのマイアミ・マーリンズの売り出し価格などに相当します。

ところが1980年代にはいりCDが登場するとレコードの売上は減少する一方で、10年後の1990年には約1/10相当の18.14まで衰退し、1989年には製造主力事業社だったソニー社がアナログ・レコードの生産から撤退しています。とはいうものの、もう一つのアナログ・ソフトであるカセットはウォークマンやカーステレオ向けに売上は上昇しています。この年には何と1988年には1008.12億(最近の規模で例えるなら、くら寿司などの昨年業績)と、レコード売上げ(332.06億)の3倍を記録しています。これは車のCDデッキ搭載が高級車(TOYOTAのソアラやスープラなど)にしか装備されていなかった事や、カセット再生装置が安価でかつ年配者にも取り扱いやすいといった利点があったからではないかと判断されます。世界的に見ても、アフリカなどはかなりの時期までカセットが主流だったと聞きます。

とはいえ、日本においてデジタルメディアCDの売上は右肩上がりで上昇し、1998年に6060.1億(業界総計6256.26億)までに膨らみ、音楽産業は活況化の一途をたどっていきます。そんな業績好調のCDでしたが、21世紀入ると新しく登場した配信(ピークは2009909.82億)に浸食されるようになります。ところが、このように新しいメディアが登場したにもかかわらず、世の中の趣向の多様化(一般には携帯の大躍進といわれる)で2006年以降は業界全体の業績は毎年10%近いダウンというのが現実です。

このように業界全体が収縮傾向の中、2010年に1.7までしぼんだアナログ・レコードは、その後堅調ながら売上をアップさせていきます。そして、昨年2017年には1980年代末期並の19.16億(2001年以来の100万枚超え)を記録。そんなアナログ市場の活況化の兆しに大手のソニー社が2017年には再参入し、商業的なレベルで市場が活気づいています。さらに同社は2018321日に29年ぶりの自社生産レコード発売が報道されました。

このように、現在の音楽産業は厳しいものですが、今またアナログ・レコードが見直されています。そんな訳で、1970年の高校入学以来40数年という長年のコレクターの私が、アナログ・レコードの話題で、番組に登場します。聴取できる範囲のお住まいの方は、是非チェックしてください。なお放送内容は、オンエア終了後に投稿する予定です。

捕捉になりますが、このFMおおつには「Niagara Moonがまた輝けば♪」というプログラムもあり、コミュニテイとはいえあなどれないFM局です。もし受信地区にお知り合いがいるようでしたら、一度79.1MHzの聴取をお奨めください。

                                  201810231330

ツチヤニボンド:『Mellows』(Analog Pants/006)

$
0
0


高野山在住の鬼才ミュージシャン土屋貴雅を中心とするプロジェクト、ツチヤニボンドが10月31日にフォース・アルバム『MELLOWS』をリリースする。
15年11月の『3』から約3年振りとマイペースなリリースながら、その唯一無二で独創的なサウンドは作品毎に深みを増しアップデイトしている。
07年のデビュー時に「はっぴいえんど×トロピカリズモ」と称された彼らだが、本作ではブラジルのミナス・サウンドからウルグアイのカンドンベ、キューバのソンなどアフリカン・ルーツのリズムを基調とする南米音楽を消化し、Urbane=洗練させたサウンドに仕上げている。
アルバム・タイトルのメロウやリード・トラックのアーバンというキーワードは、昨今のAOR~シティポップ・シンドロームへのアンチテーゼと深読みもされそうだが、ツチヤニボンドならではのアーバン・サウンドと解釈すべきだろう。



収録曲は先行で3月にMVが公開された「Urbane」をはじめ全9曲。井手健介と母船の代表曲「青い山賊」のカバーを含んでいる。因みに井手は、14年に惜しくも閉館した吉祥寺バウスシアターのスタッフだった。
レコーディングには土屋貴雅にギターの亀坂英とドラムの波照間将の不動メンバー、新たにベーシストとして土屋の実弟であるツチヤマコトが参加している。ツチヤは先月ソロ・アルバム『amaoto memo』をリリースしたばかりで、ここで紹介しているので記憶に新しいだろう。
また準前作から引き続き元“森は生きている”から増村和彦がドラムとパーカッション、篠原玄がパーカッションも参加し現レギュラーはこの6人から構成されている。
ゲスト・ミュージシャンは、増村と元バンド仲間の岡田拓郎(ギター)と大久保淳也(フルート)が各2曲、“本日休演”から岩出拓十郎(ギター)と樋口拓美(ドラム)が別の2曲で参加しており、他にもパーカション集団“La Señas (ラセーニャス)”の佐藤ドンドコ、TAMTAMのトロンボーン奏者の荒井和弘がそれぞれパーカッションで参加している。
そしてエンジニアにはジャンルを超えて様々なミュージシャンからの信頼も厚い、中村公輔が前作から引き続き迎えられている。




では主な収録曲を解説していこう。
リード・トラックの「Urbane」は、このアルバムのキーワードでもある支柱的曲と言っていいだろう。この曲はギター・リフとフルートのユニゾンによるイントロからブルース進行を基にしたムーディーなヴァースからテンポを上げキューバン・リズムのサビへと展開する。全体的なサウンドは70年代初期のニューソウルやギル・スコット・ヘロンなどのジャズ・ファンクの匂いもする。特徴的なフルート・リフは大久保がプレイによるものだ。
続く「Nevoa」はアコースティック・ギターによるボッサのリズムを基調して、リヴァーブの効いたシンセサイザーとエレキ・ギターがアクセントになっている。音数が少ないサウンドの中で樋口がプレイするスルドは重要なエレメントといえる。
そしてカバー曲の「青い山賊」であるが、井手健介と母船による15年のオリジナル(石橋英子も参加している)の情緒的なサウンドから一転、ここでは新崎純とナイン・シープスの「かじゃでぃ風節」(江村幸紀氏のEM Recordsから今年7インチでリイシューされた)にも通じる、琉球民謡とミナス・サウンドを融合させたアレンジでの解釈が非常に面白い。なにより土屋本人がプレイしている三味線がいつまでも耳に残る。大久保のフルートをフィーチャーした夢想的な甘いサビ(ブリッジ?)を経て、唐突にアフロ・ブラジリアン・ファンクのインスト・パートへと雪崩れ込むのは、ツチヤニボンドらしいと言えばそうかも知れない。





「Diggin' On You」と「五月の嘘」は『3』から踏襲されたサウンドで、前者はナンセンスな歌詞から発展したリズムが面白く、嘗ての「メタル ポジション」(『2』収録 11年)、「ヘッドフォン ディスコ」(『3』収録)に通じるツチヤニボンド・ワールドらしいナンバー。後者はアフロ・ブラジリアンなリズムとスピリチュアルなギター・リフとシンセ・パッドのコントラスが気持ちよく、リズム・チェンジを繰り返しながら展開していく。
アルバム中最もスロー・テンポで始まる「覚えてない」は、土屋得意のモラトリアム・ソングでサイケデリア且つプログレなサウンドがただただ気持ちいい。続く「子供(Para ninos ninos)」は、前出の「Diggin' On You」同様言葉遊びが持つリズムが曲をリードしており、日本語とポルトガル語が共存した歌詞の展開は画期的であり、シタールのような琵琶のリフがドローン効果を生んでいる。
ラストの「Movement」は、「五月の嘘」同様に作詞は土屋で、ドラムの波照間が作曲でタッグを組んでいる。ドラマーが作る曲の特有さというか変拍子とリズムのあり方が非常にユニークだ。その曲調からミステリアスなアルバムの着地点として興味深い。
アルバム毎のレビューで繰り返しになってしまうが、やはり彼等の独創的なサウンドは唯一無二な存在で、拘りを持つ音楽ファンを虜にするのは間違いない。

最後に本作のリリースに合わせて下記の日時と会場でレコ発ライヴを予定しており、対バンにはGUIROが主演する。この個性豊かな2組が同じステージでプレイすることは非常に希であるので興味を持った音楽ファンは是非予約して足を運んで欲しい。

【4thアルバムMellowsレコ発】ツチヤニボンド x GUIRO
2018/12/8(土)渋谷7thフロア
開場18:30 開演19:00
前売3000円/当日3500円(1ドリンク別)
前売受付: tybmellows@gmail.com

(ウチタカヒデ)



佐野邦彦氏との回想録17(一周忌を偲ぶ)

$
0
0

 10月も終盤と朝晩の冷え込みが身に染みる時期になり、間もなく佐野さんの命日だと思うと感慨深くなる。前回も彼が逝く数か月前の回想を綴ったが、あの共同作業の前(最中)には、別件で彼とやりとりをしていたことがあった。それが奇遇にも、昨年の私の誕生日に届いた彼からの最後のメッセージに繋がっていくのだから、なんとも不思議な縁を感じている。

それは43日に佐野さんから「知人より1976年の『セブンスターショウ』(TBS)の荒井由実とかまやつひろしのスペシャルで、バックはティン・パン・アレイの音源を入手したのでCD-R送ります」というプレゼントが届いた。この中で、特に気に入ったのは、ユーミンとムッシュによる「あの時君は若かった」と「12月の雨」メドレーだった。ただ残念な事に尻切れとなっており、彼にお礼の連絡をしたが失礼にも「素晴らしい音源でした!でもちょっともったいなかったですね。」と伝えてしまった。これが約半年間途切れなくやりとりが続くやりとりの始まりだった。


そんな中、松生さんから「Paulのドーム公演のアリーナ5列目が取れたので行きませんか?」の誘いに430日の公演で上京することになった。せっかくなので、その際に佐野さんに見舞い訪問の問い合わせをした。ただ、あいにくこの時期はかなり体調不良だった様子で再会は叶わなかった。もし会えていたとしたら、佐野さんが最初の闘病を乗り越え仕事に復帰していた2013713日(注1)以来となったはずで、実に無念な心境だった



その後、前回のCDのお礼に新茶を届けたが、5月の連休明けにその返礼として今度は完全版の映像を収録したDVDをいただいた。それは大感激もので、即お礼の連絡をしたのだが、そこで珍しく彼からお願いをされた。依頼内容は彼の誕生日425日に放送された『あの年この曲』(BSジャパン)の映像だった。「鈴木さん、あの番組録画してないですか?GS特集でヤンガーズの「マイラブ・マイラブ」が出たらしいのでどうしても見たいんです!」というものだった。しかし、その放送は不覚にも見逃しており、出来る限りあたってはみたが、結局私の力が及ばず役に立つことは出来なった。その後彼から「放送はHMさんを通じ無事入手できました!」と聞き、胸をなでおろした。なおこの貴重映像の出元は、偶然にも翌月にJigsawの依頼を受ける中村俊夫氏のようだった。

そして529日の勤務中に、テレビ朝日のAD.Oさんから「61日に漫画をテーマにアーカイヴする番組に出演していただけませんか?」という突然の連絡が入った。あまりに唐突で何のことかわからず、「何を見て私にオファーを出されたのですか?」と返すと、「『よみがえれ!昭和40年代』の著者(注2)様ですよね?実は発行元の小学館に連絡先を問い合わせ、連絡させていただきました。」とのことだった。私自身よく理解できなかったので、「とりあえず、資料を送って下さい。」と返答した。電話を切ると即、小学館の編集担当M氏に連絡を取った。すると「すみません、テレ朝さんからの問い合わせがあった事をお伝えするのを忘れてました。」とのことだった。



そこで、その晩にOさんから送られてきたメールを確認した。連絡で分かった事は、関東ローカルの深夜放送の『ChouChou(シュシュ)』なるアーカイヴ番組で、進行役は夏目三久さんと能町みね子さんということだった。添付されていた構成台本を見ると、私への依頼は1970年代の人気漫画とその作品が流行らせたブームについてVTRを見ながら解説するというものだった。

 その作品とは「恐怖新聞」「サーキットの狼」「空手バカ一代」の3点で、それに付随する形で「ベルサイユのばら」「エースをねらえ!」も加えられていた。これらは中学まで漫画家を夢見ていた自分にとって、毎週熱心に読みふけっていた作品で、懐かしい気分になった。ただこの中で「恐怖新聞」はラストまで完読していなかったので不安になり、佐野さんに相談を持ちかけた。しかしさすがの彼も「申し訳ない。対象外です。」ということだった。しかし「でも鈴木さんなら大丈夫だと思いますよ。頑張ってください。」とエールをおくられてしまった。そこで、この件をOさんに伝えると「Amazonより全8巻を送りますので、是非!」とのことになり、もう断れる状態ではなくなった。


幸いにも連絡を受けたのが月曜日で収録は私の休日をはさんだ木曜ということだった。そこで、その間にある程度の詳細を調べられるだろうとふんで、早速資料作りに取り掛かった。まず「サーキットの狼」については、大学時代の車好きの何人かに連絡をとり、当時の国内事情を確認した。さらに、この作品から派生した遊びについては、前職同僚の後輩がリアルだという話を聞き、即その実体験の話を聞いた。次に「空手バカ一代」は、当時の人気格闘技のブームの変遷表をまとめ、「恐怖新聞」についてもオカルト関連の事象歴を年代順に制作した。また外枠となる「エースをねらえ!」は、アニメの大ファンである佐野さんに「アニメ版」としてではあるが、抑えるべきポイントを伝授いただいた。さらに元テニス・ボーイの弟にも、当時の興味深い話題をいくつか情報提供してもらった。こんな調子で、限られた時間をフル活用して、どうにか「レトロ・カルチャー研究家」としての体裁は整えることが出来た。



そのまとまった資料と関連画像は、収録前日にファイル添付で送り、ミニカー(注3)などの小道具を静岡の実家経由で回収することにした。そのため前日夕刻実家に移動し、当日朝、万全の態勢でスタジオ入りすることにした。ただこのように準備をすすめていく段階で、事実関係を照らし合わせると、いくつか疑問を抱くようになった。そこで、それらについては「収録前に担当者と打ち合わせ」の約束を取り付けた。このように後は収録本番を待つばかりになると先方から、「先生に1点お願いがございます。先生の人となりを事前に出演者に見ていただく必要がございまして、プロフィールを頂けますでしょうか?」という問い合わせを受けた。「先生」という自覚がなく少々照れくさかった。

いよいよ収録本番となった6/1は、収録の1330に間に合わせるべく、静岡を1021のひかりで出発した。テレビ朝日は初めてだったので、指定された際最寄駅「大江戸線・六本木」の出口を間違えてしまい、番組スタッフに出迎えられ、現場に誘導された。到着した局内には私用の控室が昼食付きで準備されていたが、個人的には昼食どころではない心境だった。まずは調査により判明した訂正箇所や疑問項目の確認をするべく、台本作成者を呼んでいただいた。しかし、打ち合わせはあっという間で、スタッフからは「今、修正している時間はないので、収録後オン・エアまでにやりとりしましょう。」とのことになった。そんな訳で何も解消しないまま、またリハーサルも無しに多くのスタッフがスタンバイしたスタジオ入りとなった。現場に入ると、それまでのゲストよりもかなりラフなスタイルだっためか、「お着替えよろしいですか?」と気を遣わせてしまった。そして、レギュラーの夏目さん能町さんがスタンバイされ、私が定位置に座るのを待つばかりになっていた。


 私が席に着くと同時に、スポットがつき即カメラがまわされた。緊張のあまり一瞬固まりそうになったが、開口一番に夏目さんが私を「鈴木ヒロユキさん」と間違えてくれ、これでリラックスできた。そこからはVTRを見ながらの解説という順で、あっという間に熱気のこもった一時間半ほどの収録は完了した。とはいえこの時の収穫は、終了後にお二人とした雑談で、「「エースをねらえ!」のお蝶夫人は高校生」、「Perfumeのライヴでのあ~ちゃんのトークの力は凄い!」といった話題で盛り上がり、光栄にもお二人から「鈴木さんあなどれない!」と賞賛いただいたこと。それにその後も収録を控えた夏目さんに「SNSにあげない」ことを条件でツーショットをお願い出来たことだった。これだけでギャラなしでもいい気分になった。収録後、スタジオを出て帰路の準備をしていると他のスタッフが、「先生こちらへ」と地下に誘導された。そこには東京駅までの送迎車が手配されており、ちょっとしたスター気分を味わせていただいた。翌日、この日の話題を佐野さんに報告すると「鈴木さんらしい武勇伝ですね!」となり、「もしまだ何か協力できることがあれば、いつでも連絡ください。」と、地上波への出演を喜んでくれた。



滋賀に戻ると、放映は最短でも三週間後と伺っていたので、収録で確認したVTRの修正(注4)に作業にとりかかった。それは放送直前ギリギリまで、近隣図書館・博物館巡り、それに関係する知人への証言取りに時間を割いた。その甲斐もあって、視聴者向けに(やり取り中の映像確認は不可だったが)納得できるVに修正できたと実感した。佐野さんにも協力いただいていたので、お礼を兼ねその報告すると、「よく半端なくお金がかかるアニメ映像修正させましたね!その番組はきっと良心的な素晴らしい番組ですよ!」と絶賛された。ほっとしたと同時に、以前から疑問に思っていた「何故、私にオファー出したのか」をOさんに確認した。すると彼から回答は、「テーマは漫画でしたが、その周辺にも詳しそうな方という事で、本を拝見してお願いしました。」とのことだった。その返答にこれまでやってきたことが、公にも認めらたという満足感でいっぱいになった。

なお、このプログラムは「70年代マンガブーム」として、624日(25002530)に無事放映された。ただこの番組は関東ローカルなので、残念ながら私自身はリアルでの聴取は叶わなかった。いち早くダビングして送付してくれた佐野さんからは、「この手の研究家は、「マツコの知らない世界」に呼ばれれば、世界が一変するそうです。そこを目指して頑張ってください。」のエールと共にBDが届き、そのラストのテロップに「歴史検証」として私の名前が紹介されており、局スタッフの配慮に感謝の思いが湧き上がった。佐野さんもそれはチェック済みで、「やはり鈴木さんを選んだのは間違いではなかったみたいですね!」と我がことのように喜んでくれた。ちなみに、この日の放送は現在でも無料サイト(注5)で視聴可能です。


話しは少し戻るが、この番組の編集作業に追われている最中の611日に佐野さんより、「元テイチクの中村俊夫さんからJigsaw40周年リイシューするので、鈴木さんにも協力要請があり、滋賀の住所と携帯を伝えました。」と連絡が入っている。ただ、この頃は「シュシュ』に提出するための新規企画をまとめていたので、そのうち連絡があってからという気分でいた。ところが、その一週間後の19日に中村さんから連絡が入り、「Jigsawの取材で6/25に渡英するので、それまでに質問状をお願いしたい。」との協力依頼が言付けられた。あまりに唐突だったので、佐野さんに確認すると、「この際だから、疑問に思っている事は全てぶつけてみましょう!」「それにJigsawと「ミル・マスカラス」「林哲司」の関連をリアルに伝えることが出来るのは鈴木さんだけなんですから。」とはっぱをかけられ、身がひきしまる気分になった。

その質問状をまとめてからは、また時間に余裕が出来たので、シュシュ』に提出する新規企画をまとめた。まず完成させたものは、音楽物で「発売が難航した名曲」(注6)というものだった。しかしこれについては「ちょっとこれは番組の趣旨に合いません。」ということで却下されてしまった。そこで次にまとめたものは、かなりコアな検証データを揃えた「若大将復活劇の影に怪獣映画あり」「Jrキャンペーンとウルトラマン復活」だった。これについては、7/19にテレ朝へ提出前に佐野さんにも感想を伺っている。その内容については「これは絶対面白いよ!」と、彼から高評価を得られたので、早速提案するつもりでいた。ところが、その翌日にJigsaw発売元となるウルトラヴァイヴのMさんから、今回のプロジェクトについての詳細スケジュール連絡が入り、シフト・チェンジせざるえなくなった。その後のJigsawリイシュー作業の経過は以前の回顧録で触れたとおりだ。

ただこのオファーのおかげで、(佐野さんの体調が良かった7/29に数年ぶりに電話連絡をとることができた。これが彼との最後の会話になってしまったが、久々に聞く「佐野節」は今となっては天からの贈り物だったと感謝している。またJigsawの仕事が一段落した9/28には「ChouChouは最近江戸ネタが続いているので、また昭和ネタをアプローチされたらいかがですか?」と背中を押すメールが届いている。それについての現況を返信すると10/1には、「昨晩のChouChouは予想通り昭和で、レジャーがテーマでした。音楽ネタもかなり盛り込まれていたので、やはり鈴木さんの出番だろうと思ってお知らせしました。」とあり、佐野さんの期待に応えねばと、また企画案を練り直し始めるようになった。そして昨年の誕生日に届いた「精力的な活動で、これからも楽しませてください。どこへでも足を運んで交渉取材する鈴木さんにいつも驚かされています。今T.V.CDの仕事の波がきていますので、その波にのってよりメジャーになってくださいね。」のメッセージは今も大きな励みになっている。

 最後になるが、佐野さんの葬儀は私の勤務先のかき入れ時でもある土日だったが、即座に「有休」を願い出て東京に向かった。それは彼の供養は、私の人生にとって何をおいてもなすべき事という使命感が強かったからだ。今回はそんな彼の一周忌を偲び、彼の亡くなる半年間について、彼から届いたメールのやりとり(過去の投稿とダブる事例も含み)で、在りし日々を振り返ってみた。次回は前回の続きとなる2008年以降を回想していく予定だ。合掌。

 
(注1)佐野さんの難病指定されている持病が悪化し、余命数か月を宣告されたのは2013年だった。その後、二度の大手術が成功し、リハビリ開始後にBeachBoys由来のナンバーの愛車を入手したのがこの年。彼の生前中に「編集人」としての軌跡をまとめようと、三軒茶屋に出向き彼の活動について取材させていただいた日。

(注22017年初頭にから、神田の東京堂書店では著名漫画家U氏とコラボした企画『東京を読む!』というコーナーが設けられていた。そこに、私の著書『よみがえれ!昭和40年代』がチョイスされ、それがテレビ朝日『ChouChou(シュシュ)』の担当者の目に止り、番組出演オファーに繋がっている。

(注3)「サーキットの狼」愛車「ロータス・ヨーロッパ」が、前もって渡された資料には登場せず、スーパーカー・ブームの代表格ランボルギーニ系のスナップがクローズ・アップしていた。そこで、小中学時代に私がコレクションしていたミニカー(Match Box社製)を持参した。


(注4)収録時のVTRに写っていた画像の差し替え、「たばこ屋」の外見、「自転車」は当時人気のあった<セミドロップ>、「カメラ小僧のカメラ」が手にしている一眼レフを<安価な普及品>に、「スーパーカーの道路」を<環状七号>に指定など。当時のリアルを反映させるべく、図書館からネットまで、あらゆるメディアから映像を探索した。ちなみにこの差し替え映像は、現在放映中のオープニング映像でも使用されている。

(注5)初期の『ChouChou(シュシュ)』は「TVer」での視聴は出来ないが、無料サイトの(pandora)(miomio)で視聴できる。

(注6What's Goin' On”“Can't Take My Eyes Off You”など、すんなり発売されなかった名曲のストーリー。

201810282200

Vacation Three:『One』(TOO YOUNG RECORDS/TYG-VT01)

$
0
0





















男女3人組のアコースティック・トリオ“Vacation Three(ヴァケーション・スリー)”が記念すべきファースト・アルバムを11月7日にリリースする。Vacation Threeは、クルーエル・レコードに所属したギターポップ・バンド“ARCH”のリーダーであったヴォーカル兼ギター、メイン・ソングライターの中村大を中心としたユニットだ。現在彼は海外でも評価が高いニューウェーブ・ファンク・バンド“BANK”と平行してこのユニットで活動しているという。
彼を支えるメンバーには、過去WebVANDAで紹介したELEKIBASSやFULL SWINGのサポートをはじめ、最近新作シングルを紹介したばかりのWack Wack Rhythm Bandのサックス奏者である仲本興一郎と、同バンドに参加する女性パーカショニストおきょんが加わっている。
彼等のデモ音源は以前から、元ピチカート・ファイヴでプロデューサーの高浪慶太郎氏のFM番組で特集されるなど、耳の肥えた音楽通には知られていた。
筆者も昨年初めに十数年来の友人でもある仲本に紹介されて以降、そのサウンドの素晴らしさにいたく共感したのだ。同世代的音楽趣向へのシンパシーなのかも知れないが、ヤング・マーブル・ジャイアンツ~ウィークエンド、エブリシング・バット・ザ・ガール等に通じるネオ・アコースティックと程よい中南米フレイバーがブレンドされたそのサウンドは、聴く者を心地よく包み込むのだ。
本作は全10曲を収録し、レコーディングはメンバー3人の演奏のみでおこなわれ、ミックスは中村自身が担当している。またマスタリングには中村と元レーベル・メイトで、カヒミ・カリィやPort of Notes等のプロデューサーとしても高名な神田朋樹が迎えられているのも注目だ。



では筆者が気になった主な収録曲を紹介していこう。
冒頭の「New Voyage」は、アコースティック・ギター(主にアコースティックなので以下ギター)によるボッサのリズムを基本に、スルドとタンボリムがビートを刻み、ソプラノ・サックスがフリーに絡んでいくという展開で、中村とおきょんの2人によるコーラス、ヴォーカリゼーション、左右のエレキ・ギターとトライアングルやカバサのパターンが実験的だ。
続く「Sweet Magic」はアップテンポなギター・カッティングとカホンのビートをバックに、中村の爽やかなヴォーカルが蒼い歌詞にマッチしていてギターポップ・ファンにもお勧めである。
そして本作中白眉の名曲と推したいのが「欲望」である。デモ・ヴァージョンからダイヤモンドの原石であったこの曲には、中村の才能が集約されていると言って過言ではない。ネッド・ドヒニーの「Get It Up For Love(恋は幻)」(『Hard Candy』収録 76年)に通じる非常にクールなブルーアイド・ソウルで、不毛の愛を綴った歌詞との相性も非の打ち所がない完成度なのだ。
本作のヴァージョンではギターにシンセ・ベース、パンデイロとアゴゴという珍しい組み合わせのリズム・セクションでニュー・アレンジされており、ジャジーなテナーサックス・ソロもこの世界観を更に高めている。筆者的にも今年の個人的ベストソングの1曲に確実に入るだろう。


「Blue Submarine」はボッサ・ギターにシェイカーとトライアングルいうシンプルなリズム・セクションをバックに中村とおきょんが交互にヴォーカルを取る小曲だが、仲本を加えた3人のコーラスではコール・ポーターの「Night And Day」(32年)が引用されており、嘗てエブリシング・バット・ザ・ガールが同曲をカバーしたのを彷彿とさせてリピートしてしまう。中村とおきょんのハーモニーが美しい「あたらしいうた」もシンプルな編成ながら、中村によるリリカルな歌詞とソングライティングが光っており耳に残る。
アカペラから始まる「Mirai」からラストの「海のない街」の流れも興味深い。「Mirai」は1分半の小曲ながら凝った構成で、コーラスとメッセージ性のあるブリッジからテナー・ソロへと繋がる。
全編おきょんがリード・ヴォーカルを取る「海のない街」は、リヴァーブが効いたエレキ・ギターのカッティングとミッドテンポのパーカッション・ループによるバックトラックに前曲からの変奏パート的なコーラスが被さってくる。一夏の思い出を無垢に描いた歌詞が美しく本作のエンディングにピッタリである。
このレビューを読んで興味を持った音楽ファンは本作を入手すると共に、都内を中心に沖縄や鹿児島にまで遠征するという彼等のライヴを是非体験して欲しい。詳しいスケジュールは下記のオフィシャル・サイトでチェックしよう。
younger than yesterday
http://www.tooyoung-records.com/younger/

(ウチタカヒデ)



小林しの:『Havfruen nat』(philia records/PHA014)

$
0
0





















15年にファースト・ソロアルバム『Looking for a key』をリリースした女性シンガー・ソングライターの小林しのが、待望のニューシングル『Havfruen nat』を7インチ・アナログシングルで11月18日にリリースする。
タイトル曲は作曲とアレンジに元melting holidaysで現ポプリのササキアツシが参加し、カップリング曲「雪虫」は06年に筆者が共同プロデュースしたコンピレーション・アルバム『Easy living Vol.1』収録のオリジナルをササキにより新たにリアレンジしたものとなっている。
両面ともWebVANDA読者が好むソフトロック~MOR系サウンドなのでここで紹介したい。

彼女のプロフィールについては前回のレビューでも紹介しているが、ギター・ポップ系バンド”harmony hatch(ハーモニー・ハッチ)”のヴォーカリスト兼ソングライターとして99年にデビューし、coa recordsより2枚のアルバムをリリースして02年に解散する。その後ソロへと転身し、多くのコンピレーション・アルバムに楽曲提供した後、16年の『Looking for a key』へと繋がっていく。
ではこの最新シングル『Havfruen nat』について解説しよう。



A面「人魚の夜」は、ササキがmelting holidays時代に書いた「morning star lily」という曲に小林が日本語詞を提供したものが原曲となっている。ソフトロックというカテゴライズだけでは括れないソフティな美しいバラードで、複数のキーボードとギターを主体にササキによって構築されたサウンドは、70年代の良質なMORの匂いもする。抑制が効いたクリーン・トーンのリード・ギターはmelting holidaysでササキとバンド仲間だったタサカキミアキのプレイによるものだ。
またコーラスには小林自身と、Label Producerでthe Sweet Onions、The Bookmarcsのメンバーである近藤健太郎が加わっている。
カップリングの「雪虫(white night version)」は、原曲のナチュラルなギター・ポップ・アレンジからサイケデリックでドリーミーなサウンドにアダプトしている。間奏のインストルメンツ・パートの展開などStrawberry Switchbladeの「ふたりのイエスタディ (Since Yesterday)」を彷彿とさせる。コーラスには小林の他、ササキとthe Sweet Onionsの高口大輔が参加している。
ファンタジーで印象的なアルバム・ジャケットに触れておくが、イラストレーションはかみたゆうこ、デザインはいなだゆかりが担当している。

なお本シングルは、下記のイベント会場にて先行発売され、翌日以降に一部の店舗でのみ扱う予定で一般流通はないとのこと。プレス数は100枚と少ないため、下記のイベント会場で入手するか取り扱い店舗に早期予約することをお勧めする。



【11月のフィリアパーティ vol.2
the Sweet Onions 20th anniversary&小林しの7″release party】
11月17日
【昼の部】@恵比寿天窓Switch 11:30OPEN 12:00START
【夜の部:after party】@茅場町バッテリーパークカフェ18:00OPEN  18:30START
予約問い合わせ先:philiarecords.com/contact/

◎『Havfruen nat』取扱店舗 
ディスクブルーベリー : http://blue-very.com
RECORD SHOP ANDY : http://recordshop-andy.com
モナレコード : http://www.mona-records.com/

(ウチタカヒデ)

【ガレージバンドの探索・第三回】 『V/A - SIGH CRY DIE』

$
0
0
60年代ガレージを聴いていると、気に入った曲について調べようとしても情報が少なく、バンドの出身地くらいしか分からないこともよくある。
こういう、その時代の一瞬で忘れ去られてしまってもおかしくなかった得体の知れないバンドの音源をコンピレーションに収めたレーベルの功績は偉大だと思う。
この手のコンピに収録されているバンドはシングルのみしか出していない場合が多いのだけれど、アルバムを残していても1、2曲以外は期待外れなことも多く、コンピで聴くのが最適だったりする。但しそんな性質のガレージコンピは大量にあるのでどれを聴こうか迷う。見つけた時にとりあえず買ってみるのも楽しいけれど、せっかくなので好みの内容で手元においておきたい音源が入ったコンピを選んでみようと思い、下調べして購入したのが、Arf! Arf! のサブレーベル Cheep! Cheep!から出ている『Sigh Cry Die』(AACC-098)だった。
2004年にCDのみでリリースされている。


邦題で『ヘタレの花道〜ガレージロック凹編』なんてついているような失恋ソングばかりが集められたコンピだそうだ。
個人的にはたまらなくトワイライトな音傾向の名曲多数のコンピだと思っている。憂鬱さの中に淡い光を漂わせるような魅力がたっぷり味わえる。ただ全体を通して聴くと、このCDの注意書きで「WARNING: THIS PRODUCT MAY BE ADDICTIVE AND LEAD TO MENTAL DETERIORATION」と書かれている理由はよく分かる。全29曲。前回記事で書いたThe GentsもシングルB面曲が収録されている。



特に目当てだったのはThe Nomadsというノースカロライナ州マウント・エアリーのバンドで、収録されているのは「How Many Times」というシングル曲。金属的なギターの音にたどたどしく入るドラム、スカスカな演奏。不完全さが生み出す哀愁には無性に感動を覚える。The Nomads はシングル音源と未発表デモの編集版『From Zero Down』(CRYPT LP 006)も出ていて、LPでも入手したいと思うバンドのひとつ。


この『V/A - SIGH CRY DIE(邦題:ヘタレの花道〜ガレージロック凹編)』には対になるコンピとして、『V/A - PARTY PARTY PARTY(邦題:バカの花道~ガレージロック凸編)』(AACC-097)も同時リリースされている。

【文:西岡利恵(The Pen Friend Club)】

『Merry Christmas From The Pen Friend Club』(Penpal Records/PPRD0004)The Pen Friend Clubリリース・インタビュー前編

$
0
0

平川雄一率いるThe Pen Friend Club(ザ・ペンフレンドクラブ)が、11月14日にニュー・アルバム『Merry Christmas From The Pen Friend Club』をリリースする。今年3月の5thアルバム『Garden Of The Pen Friend Club』が記憶に新しく、そのリリース・ペースに驚かされるばかりだが、今回はクリスマス・アルバムというコンセプトで制作されているのが大きなポイントだ。古今東西このコンセプトで制作されたアルバムが数多あるが、その筆頭が『A Christmas Gift for You from Phil Spector』(Philles Records/63年)であることに異論はないだろう。ウォール・オブ・サウンドの創始者フィル・スペクターのフィレス・レコードにおける最高傑作アルバムと言っても過言ではなく、後年このサウンドに影響を受けたミュージシャンは多い筈だ。
そしてこのペンフレンドクラブの本作もそのフォロワーに違いないが、彼等独自のアイディアを加味して平成最後のクリスマスに日本で制作してくれたことに音楽ファンとして純粋に感謝したい。
筆者は8月末に平川がほぼ1人で制作したベーシック・トラックに藤本の仮ヴォーカルを入れたラフミックスを初めて聴かせてもらってから、そのアレンジ感覚に唸ってしまった。過去には大滝詠一が『多羅尾伴内楽團 Vol.1』(77年)でおこなった手法だが、昨今の音楽事情で分かり易く言えば「マッシュアップ」ということになるだろう。カバーするスタンダード曲をミュージシャンのセンスや趣向で、全く異なる既存曲のアレンジ・フォーマットでレコーディングするというものだが、当然そのアレンジ・センス次第で原曲を生かしも殺しもするので非常にシビアな手法といえる。全16中15曲がカバー曲で多くがこの手法が施されているので、熱心なポップ・マニアやVANDA読者はオマージュされた曲を探すのも楽しいだろう。
ここでは前編と後編に分けて、ペンフレンドクラブへおこなったインタビューを掲載する。前編はプロデューサーでリーダーの平川へのインタビュー、後編では前作同様に平川以外のメンバーへのアンケート形式のインタビューとなるのでお楽しみに。


●これまでのペンフレンドクラブの活動スタイルからクリスマス・アルバムをリリースするということを想定出来なかった訳では無いですが、このアイディアはいつ頃から温めていましたか?


平川(以下H):ほぼ活動開始くらいから考えていました。クリスマス曲でもないのにスレイベルを延々打ち鳴らすバンドでしたので(笑)。 グロッケンも頻繁に使用していましたし、普通の曲でもクリスマスっぽい雰囲気はありましたね。なので、クリスマス・アルバム制作というのは自然な発想でした。


●カバー曲15曲を選考した意図を教えて下さい。またそこに至った個人的な思い入れを聞かせて下さい。

H:「クリスマス・アルバム制作は一生に一枚」と決めていたので、やりたい曲を全部入れました。今回は「往年のクリスマス曲とペンフレンドクラブがこれまでやってきたオリジナル曲やカバー曲とのマッシュアップ」というコンセプトなので、どの曲と、どの曲を混ぜるかを考えるのが非常に楽しかったですね。「ホワイトクリスマス」のアレンジはなかなかこんなことする人いないと思います。笑

ロックンロール・アプローチの「ジングルベル・ロック」や「ロッキン・アラウンド・ザ・クリスマスツリー」もいい仕上がりです。こういうことやらせるとうまいですね僕ら。「Let It Snow」は子供の時に観た映画「ダイハード」のエンディングテーマで当時からいい曲だなあと思っていました。
今回のマッシュアップで「Do I Love You」等、レコーディング時に現メンバーが参加していなかった曲をある意味「再録」できたのは、僕の中で大きなことです。



●初めてラフミックスを聴かせてもらった時から、この絶妙なマッシュアップ感覚には脱帽しました。確かに「ホワイトクリスマス」が最も意外なマッシュかも知れない。アレンジ側の原曲を作ったブライアン・ウィルソンもきっと驚くね。
「Frosty the Snowman(雪だるまのフロスティ)」もファーストでカバーされたザ・ロネッツの「Do I Love You」で料理されるとは予想だにできなかった。『A Christmas Gift for You from Phil Spector』(以下A Christmas Gift for You)では「Be My Baby」でやっているんだけど、平成下の日本でそのアイディアを実現させるっていのは、ペンクラの平川君と『THE夜もヒッパレ』のビジーフォー・スペシャルくらいだよ。笑

H:笑。ビジー・フォーといえばベースの西岡利恵は彼らの大ファンなんです。特にモト冬樹には熱い視線を送っているようです。
それはともかくマッシュアップではない曲「恋人たちのクリスマス」やダーレン・ラヴの「クリスマス」、「リトル・セイント・ニック」等は僕らのクリスマス・アルバムに必ず入っていなくてはいけない曲、と思っていましたし、ただただ好きな曲だったので取り上げました。
「恋人たちのクリスマス」は90年代に作られた曲の中で一番素晴らしいと思います。ただマライア・キャリーの原曲は60’sガールズポップ風だったのですが、編曲、演奏(打ち込み)面において不十分だと感じていました。なので、ペンフレンドクラブで本来こうあるべきだというアレンジ、演奏で制作した次第です。

●ニューウェイブ少年だった僕には敵だった笑、ワムの「ラストクリスマス」も意外だったけど、マライアの「恋人たちのクリスマス」まで!と。ラフミックスを聴いた時から驚きで、「ペンクラどこへ行くよ?!」って感じだった、本当に。笑

でもドストライクで直球な選曲でやってこそ、クリスマス・アルバムの醍醐味なのかも知れないと感じましたね。

H:ワム!やマライアはこういう機会でないと出来ないカバーですね。

ダーレン・ラヴの「クリスマス」に関してはペンフレンドクラブが制作してきたウォール・オブ・サウンド・アプローチの曲の中で一つの到達点になったのではないかと思っています。
僕の一人多重録音ではなくメンバーによる四声コーラス「オールド・ラング・ザイン」が非常に気に入っています。途中のデニス・ウィルソン...ではなく藤本有華による語りは最高です。藤本の完璧な英語発音力はこのアルバムの説得力になっていると思います。もちろん歌唱力も。
大谷英紗子による編曲で彼女が属するサックス・カルテット演奏の「サイレント・ナイト」で幕を閉じるわけですが、そのようにしてよかったと思っています。

●やはり『A Christmas Gift for you』がその後のクリスマス・アルバムの指標になっていたのは間違いないんだけど、そのハイライトがダーレンの「Christmas (Baby Please Come Home)」な訳ですよ。それに挑むってのはチャレンジだよね。

唯一のオリジナル曲「Christmas Delights」についても聞かせて下さい。実はこのアルバムで最も好きな曲です。スプリームスの「You Can't Hurry Love」(66年)とストロベリー・スウィッチブレイド の「Since Yesterday」(84年)のいいどこ取りというか、本当にいい曲だと思います。ソングライティングの着想を聞かせて下さい。

H:クリスマス・アルバムにオリジナル曲は1曲だけでよいと思っていました。2曲も3曲も聴き覚えの無い曲などクリスマス・アルバムに必要ありません。なので他の収録カバー曲のどれとも被らない感じにするべく「You Can't Hurry Loveパターン」のリズムを採用しました。元来、僕はこのリズムがそんなに好きではないのです。このリズムの曲で「You Can't Hurry Love」以外に優れた曲を聴いたことがないですし、見渡してみるとよく「レトロな感じ」をやるときに安易に採用されるリズムパターンでもあります。そんなマイナスのイメージを勝手に持っていたので今まで敬遠してきました。ただ「クリスマス・アルバム」という特別な機会でもないと、このリズムの曲を一生作らないだろうなと思い、今回限りのつもりで書きました。

この曲に更に自分の中に無いものを付与するために、そして他の収録曲との差別化を図るために編曲を謎の音楽家・カンケさんにお願いしました。仕上がりはお聴きの通り。功を奏したと思っています。


●リリースに合わせたライブ・イベントがあればお知らせ下さい。

H:2018年12月22日に青山・月見ル君想フでRYUTistを迎えクリスマス・ライブ・パーティーを開催します。

2018年12月22日(土)
@青山・月見ル君想フ
[Add Some Music To Your CHRISTMAS]
開場/午前11:00 
出演:The Pen Friend Club, RYUTist
OA:Quartet Ez
DJ:aco
★チケットぴあにて販売中
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventCd=1849306


●最後に本作の魅力を挙げてアピールして下さい。

H:ジャケ、装丁が非常にいいです。まさにクリスマスプレゼントという感じ。実際にお手に取って見て頂きたいですね。あとTOMMYさんによるライナーノーツが凄いです。是非がんばって読んでください。笑
クリスマス・アルバムというのは王道でベタでなければいけないと思っています。
誰が聴いても楽しめる分かり易いもの、ライト級リスナーのBGMであるべきです。そしてヘビー級リスナーにとってはどこまでも聴き応えのある仕掛け、拘りもまた必要です。
クリスマス・アルバムの金字塔をつくりましたので是非、聴いてください。
以下後編(11月14日掲載予定)に続く。
(インタビュー設問作成/文:ウチタカヒデ)


Viewing all 632 articles
Browse latest View live